昭和39年(1964年)10月10日に東京オリンピックが開催された。

その時の私は中学1年生、当時は、川崎に住んでいたので、東京オリンピック開催にともなう都内の喧騒とは少し離れていたような気がする。それでも、日吉の山までは行き、東海道新幹線の工事現場を遊び場としていた。

そんな少年のころを思い出しながら読んだのが、「空中ブランコ」で直木賞をとった奥田英朗の「オリンピックの身代金」だ、長編を読むのは久しぶりだったが、一気に読んでしまった。

 

 本文中にある言葉として書評でも引用されているのが、「「おめ、アカなんだってな。おめは東大行くぐらい頭さいいんだがら、世の中を変えてけれ。おらたち日雇い人夫が人柱にされない社会にしてけれ」
・・・人柱という言葉に、国男は打ちのめされた。以前マルクスを引き合いに出し、苛烈な搾取構造の中でも屈託のない飯場の労働者について、不思議でならないとの感想を自分は抱いた。しかしそれは過ちだった。彼らはちゃんと現状を認識している。戦う術を知らないだけなのだ。」

 オリンピック開催に向け、東京は世界に冠たる大都市に変貌しようとしている。

この戦後最大のイベントの成功を望まない国民は誰一人としていないような風潮だった。

そんななか、東京で相次いで爆発事件が発生。

同時に「東京オリンピックを妨害する」という脅迫状が当局に届けられた。 

警視庁の刑事たちが事件を追うと、一人の東大生の存在が捜査線上に浮かぶ……。

 

 物語には日付が記され、日にちは前後しながらも、犯人側の視点、警察の視点、双方から書かれている。秋田の田舎出の東大院生が、出稼ぎしていた兄の死から、その当時の混沌とした世の中のあらゆる事象に遭遇し、テロリストとして行動を起こすまでの気持ちが迫ってくる、今の世の中、東京と地方、富むものと貧しい者、東京オリンピックがその起点の一つだったのかもしれないと思わずにはいられない。

奥田英朗という作家は裏切らない、面白い本だった。