「走ることについて語るときにクマの語ること」その3

1995年は、1月に阪神淡路大震災があり3月に地下鉄サリン事件があった年になる。

そんな大変な1995年の夏にわたしは走り始めた。

 

きっかけは幾つかある。

一つは運動不足と食べ過ぎで体重が増え続けて、自分で適正体重であろうと思っていた、65kgをはるかに超えて73kg程まで達した。

さすがに自分が重たいもんだから駅での階段の上り下りなどは息苦しくなったりしていたということがある。

そして、夏休みに家族旅行で京都に行くことになった。

子供は、長女、長男、次女と三人で、その当時で、長女でもまだ中学生だった。

彼らの旅行の際の小遣いとして、女房が提案したのが、自宅の隣の公園、沼井公園というのだが、その公園の遊歩道600mを周回したら、その度ごとに旅行のお小遣いを上げるというものだった。

小遣いとは無縁だが、わたしも一緒になって、この沼井公園をゆっくりと歩く様な感じで走り始めた。それでも夏の暑さもあり、13周が限度だったと思う。

タレントの間寛平がマラソンを走るのは以前から知っていた。ただ、走る姿を見たことはなかった。

京都旅行の際に、たまたまテレビで観たのが、阪神淡路大震災の被災者の一人として24時間テレビで、神戸から東京までの600kmを走っている姿だった。

この時、自分も公園などでなく普通の道路を、流れる景色のなかを走ってみたいと思った。

 

京都旅行から帰って、子供達はもう走らなくなったが、わたしは、会社から帰ってから夜遅くに公園を走り始めた。

600mの周回を5周程度から、長い時には5km程度まで走れるようになってきた。

今までさしたる運動をしてきた訳ではないので、走るたびに体重が減っていった。季節は夏から秋へと向かっているので、気候的な走りやすさも加わっていたと思う。

ストレスの解消にもなり、体重が減り、季節が感じられる爽快感が何ともいえなかった。