先日、FBで、走友から「enjoy_running」で久しぶりに駅伝でもという投稿があったので、このランニンググループについて書いてみることにする。

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  (TさんデザインのチームロゴTシャツ)

わたしが、走り始めたのは、阪神淡路大震災があった1995年の夏でした。
周りに走っている人などおらず、一人で練習し、一人で大会に参加していました。
走り始めて3年ほどが過ぎ、東京・荒川市民マラソンで初めてサブフォーして、当時4時間制限の北海道マラソンのエントリーの資格を得ました。
1999年夏、初めての北海道マラソンを一人で行って完走、これが、のちの、今でも支えてもらっている走友たちとの出会いの切っ掛けになったのです。

その秋、CALS/EC、土木情報の進展のなか、他のグループで研究活動していた方が、同じ北海道マラソンを走ったと、共通の知人から紹介してもらい、直後の大会、手賀沼ハーフマラソンで会う約束をしました。
その手賀沼のゴール後に会ったのが、今では20年のお付き合いとなった走友Tさんです。

Tさんがリードして、走る仲間として結成されたのが「Team enjoy_running」です。
実際にグループで練習するのはせいぜい年に数回しかないのですが、大会で会ったり、会社帰りの飲み会では頻繁に会ったりとしていました。

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(東日本国際親善マラソンにチーム参加)

そんなグループにも掟らしきものがあって、
・飲みに誘われたら断らない。
・けして群れない。
・誰もが練習会や飲み会の幹事をすること。
・この会は、一つのテーブルで一つの話題を共有できる人数にする。
・メンバーの誰か欠員が生じたときのみ新たにメンバーを加わえることができる。
・年功序列、若手は飲み会の議事録を速記してMLに報告する。

当時は、ML(メーリングリスト)の全盛で、大会の感想など日に何十通もお互いに情報交換した。
Teamの会長Yさんからは、仕事してくださいよと言われるぐらいメンバーの交流は頻繁だった。

わたしが50歳になった記念に四万十川ウルトラマラソンに出たいと言ったときは、4人の方が、わたしが完走できるようブースターになってやると、一緒に参加してくれた、良い思い出だ。
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         (沈下橋)

会長のYさんの還暦祝いのホノルルマラソンにも駆け付けた。
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  (ランナーズの下条編集長と一緒に)

この「Team enjoy_running」で知り合った走友たちの話しと振る舞いがあったからこそ、今のわたしがあると思っている。
すべてを肯定するするわけではないが、あぁなりたい、あぁなってはいけない、と知らず知らずのうちに教わった。
「Team enjoy_running」の仲間は、教師であり、反面教師でもあった。
Yさんの後にわたしが会長になったが、権限は、乾杯の音頭だけと、これがまた良い。

今でこそ、一堂に会すのは数年に1回になってしまったが、個別、少人数で会うのは今でも変わらない。

書いていて思う、そうか、ちょうど今年の秋が20年か!
久々に一つのテーブルを囲んでみたいと思う。