初参加の鯖街道ウルトラマラソン、アップダウン(高度上昇2,599m 高度下降2,382m)にやられて、残念ながら59km地点の鞍馬で関門アウトでした。
ただ、走ってみて、色々と発見もあったので、完走記にならないが、リベンジの時の為に記す。
マラソンシーズンがひと段落して、長距離の大会、ウルトラマラソンの季節になった。
今までの5月なら萩往還だったが、昨年の大会を最後に開催が無くなった。
昨年の萩往還70km、復路でしばらく並走した女性ランナーさんに聞いたのが、この鯖街道ウルトラマラソンだった。
距離は、萩往還と同程度だが、三か所の峠越えが厳しいという。
それでも、萩往還道、雁坂の道のように昔ながらの歴史を感じる街道を走る楽しみがあると思った。
福井県の小浜で獲れた鯖や海産物を京都に運び、文化交流の道にもなった鯖街道、その距離は72km。
朝4時過ぎに起き、準備をしてホテルを出たのが5時20分ころ、歩いて10分ほどで集合場所の「小浜市まちの駅」に着いた。
スタート地点までのバス移動は、6時からだったが、既に出発しているので、早めにバスに乗った。
スタートは、「箸匠せいわ」の駐車場、建物のなかで休めて、2回目の朝食をとった。
スタートは、マラソンの持ちタイムが速い順でのウェーブスタート、わたしは、3番目の4時間のところに並んだ。
走り始めて、トイレに行っていないのに気づき、3km過ぎ、鵜の瀬あたりのトイレに入った。
事前の設定タイムは、エイドなどを含んで、7分30秒/kmなので、このタイムで刻んだ。
最初のエイド下根来(5km地点)、GPS計測で4.4km、高度上昇105m、設定タイムより少しだが速い、ここの壁が有名なようで、写真を撮ってもらった。
ここまで、点在する集落、あるいは元集落だったようなところに、戦没者慰霊碑というのか、石碑がポツンポツンと立っている、その文字を見ると、三等兵とか二等兵とか伍長とか書かれている。
わずか数軒の集落で男手がいなくなる、きっと厳しかったろうにと勝手に思いながら走った。
次が上根来エイド(10km)、GPS計測9.9km、高度上昇333m高度下降110m、設定タイム13分/kmを8分47秒と上々だった。
更に進んで、いよいよトレイル区間、なんとなくだが、トレイルといっても林道みたいなイメージをもっていたので面食らった。
完全に登山道、しかも、追い抜きも出来ない一本道だった。
ここからは先はたいへん苦しんだので、写真は撮れず、頭も朦朧と走っていたので、あとで、じっくり思い出しながら続きを書くとする。
ただ、走ってみて、色々と発見もあったので、完走記にならないが、リベンジの時の為に記す。
マラソンシーズンがひと段落して、長距離の大会、ウルトラマラソンの季節になった。
今までの5月なら萩往還だったが、昨年の大会を最後に開催が無くなった。
昨年の萩往還70km、復路でしばらく並走した女性ランナーさんに聞いたのが、この鯖街道ウルトラマラソンだった。
距離は、萩往還と同程度だが、三か所の峠越えが厳しいという。
それでも、萩往還道、雁坂の道のように昔ながらの歴史を感じる街道を走る楽しみがあると思った。
福井県の小浜で獲れた鯖や海産物を京都に運び、文化交流の道にもなった鯖街道、その距離は72km。
朝4時過ぎに起き、準備をしてホテルを出たのが5時20分ころ、歩いて10分ほどで集合場所の「小浜市まちの駅」に着いた。
スタート地点までのバス移動は、6時からだったが、既に出発しているので、早めにバスに乗った。
スタートは、「箸匠せいわ」の駐車場、建物のなかで休めて、2回目の朝食をとった。
スタートは、マラソンの持ちタイムが速い順でのウェーブスタート、わたしは、3番目の4時間のところに並んだ。
走り始めて、トイレに行っていないのに気づき、3km過ぎ、鵜の瀬あたりのトイレに入った。
事前の設定タイムは、エイドなどを含んで、7分30秒/kmなので、このタイムで刻んだ。
最初のエイド下根来(5km地点)、GPS計測で4.4km、高度上昇105m、設定タイムより少しだが速い、ここの壁が有名なようで、写真を撮ってもらった。
ここまで、点在する集落、あるいは元集落だったようなところに、戦没者慰霊碑というのか、石碑がポツンポツンと立っている、その文字を見ると、三等兵とか二等兵とか伍長とか書かれている。
わずか数軒の集落で男手がいなくなる、きっと厳しかったろうにと勝手に思いながら走った。
次が上根来エイド(10km)、GPS計測9.9km、高度上昇333m高度下降110m、設定タイム13分/kmを8分47秒と上々だった。
更に進んで、いよいよトレイル区間、なんとなくだが、トレイルといっても林道みたいなイメージをもっていたので面食らった。
完全に登山道、しかも、追い抜きも出来ない一本道だった。
ここからは先はたいへん苦しんだので、写真は撮れず、頭も朦朧と走っていたので、あとで、じっくり思い出しながら続きを書くとする。