気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、古希を過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

2011年12月

ゆく年くる年

今年は色々な事がありましたと誰もが思う年でした。

2月の青梅マラソンの前日に痛めた足底筋は、結局いまだ治らずです。

2月の末には東京マラソン、夫婦で難関突破の当選で走ることができました。

東京マラソンを走った仲間と日本橋で飲んだのが、3月10日。実家の気仙沼に帰っていた走友と一緒に飲みました。

そのお酒を飲みすぎ、二日酔いで会社を休んだのが、11日。

2時48分。

たまたま女房も休みで、突然の激しい揺れ。

女房は食器戸棚とリビングボードを押さえ、わたしは天井まである自作の本棚を押さえてしました。

余震の合間を縫って、余っていた材木を使い、釘を打ちました。

激しい余震にこの世の終わりかと思いました。

そしてテレビをつけると、信じられない光景が映っていました。

会社への連絡はつかない。

お袋の携帯電話に繋がったが、横浜まで美容院に来ているとのこと、余震が納まるまでここにいると言っていた。

次にかけたら、携帯電話のバッテリーが残り少ないと言った。

京浜急行もJRも止まっているので、タクシーに並ぶと言っていた。

暫くして、また話すと、タクシーの列が凄くて前に進まないと言う。

埼玉にいて何もできない。

何とももどかしい時間が過ぎていく。

すると横浜市内に住んでいるお袋の弟夫婦とその息子がピックアップするために駅まで行ってくれた。

本当に有難かった。

結局、ピックアップしお袋の弟夫婦の家に着いたのは翌日の未明になっていた。

さぞかし寒かっただろうと思うと涙が出てきた。

でも、無事だったという安堵の涙でもあった。

長女は職場に泊り、長男と次女は家に帰れた。

しかし、余震は続き、津波の映像を見て空しさのみが心をよぎった。

この大震災から、自分に何ができるのかを考えた。

被災地に行くのは単に足手まといだけだと思った。

数日すると、復興という言葉があちらこちらで聞こえてきた。

三陸のカキは美味しいという。

何年先になるか分からないが、復興牡蠣を注文した。

学生以来の献血をした。

中止になったマラソン大会の参加料はすべて寄付した。

今思うとたったこれしかしていない。

なさけない。

社員のお母さんが石巻で亡くなった。

社員の職場は熊本で、震災の後、息子は、飛行機、JR、バスを使って、石巻に入った。

お母さんの安否を気遣い、Twitterで何度もつぶやいた。

なしのつぶてだった。

そして、津波にあった実家の二階で、息子は横たわるお母さんを見つけたという。

そのお母さんの葬儀に参列したのは10月になってからだった。

石巻はまだまだ瓦礫の山だった。

復興というお題目は何度も聞いた。

ただ、現地に行くと、中央の情報とはあまりにもかい離していた。

今でも思う、本当に日本は復興できるのか?

この日本は、この地球は、未来の子供たちからの借りものなんだ。

大事に大事にしなければならない。

今、自分に何ができるのか、兎年が過ぎ、辰年がきても自問自答していかなければならない。

飛鳥鍋

 奈良マラソンを走り終え、ゴール脇のユースホステルに戻ったのが、14時ぐらいか?風呂に浸かって汗を流し、近鉄奈良駅に向かった。

目指すは、明日香、橿原神宮で降り、路線バスで岡寺前までいく。

農村と狭い市街と混在したバス路線は、右に左に行き岡寺前バス停に着いた。

そこから少し上り坂を歩くと民宿がある、今晩の宿だ。

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なぜ、ここに来たか、明日香を散策するということもあるが、この民宿の夕食は飛鳥鍋だからだ。

飛鳥鍋は、飛鳥の時代に唐から来た僧侶が、寒さをしのぐためにヤギの乳で鍋料理を作ったのが最初と言われており、明日香の郷土料理となっているようだ。

もちろん、今は、ヤギの乳ではなく牛乳ベースになっている。

具材は鶏肉に豆腐、野菜は普通の鍋と同じだ。

牛乳で鍋は、違和感があるかもしれないが、なかなか美味い。

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そして、締めは、鍋にご飯を入れて雑炊にする、満腹感に体全体が温まり、マラソン直後の内臓疲労でも無理なく十分に食べることができた。

今度、家でもやってみるかと思っている。

忘れない、忘れまい

マトゥーリ男声合唱団のトップテナーにマラソンを一緒に走った走友がいる。

昨年は、トッパンホールで演奏会が行われたが、今年はアクセスが良い津田ホールで昨夜行われたので聴きに行った。

「3.11復興支援特別演奏会 忘れない、忘れまい!マトゥーリ、東北に祈る」と題して3部構成になっている。

第一部は、団歌に続き組曲「雨」、さらに沖縄の曲として「花」「芭蕉布」「島唄」の順に唄われた。

第二部は、ゲストによるソロステージで、第三部が「復興を願って」と題し、馴染みのある「浜辺の歌」、宮城県民謡の「斎太郎節」、ふるさとを想う「故郷」、そして、「忘れない、忘れまい」という曲。

2011年3月11日午後2時46分に起こった衝撃的な出来事も時間の経過とともに少しずつ記憶が薄れていく、被災者にとって辛いのは段々と忘れ去られていくという一言が、ピアニスト小林さかえさんの琴線にふれ、泣きながら創作を行いこの曲が出来上がったそうです。

男声合唱団の歌声を聞くうちに涙腺が緩んできます、良い唄でした。

演奏会の最後は、元気良くと、「上を向いて歩こう」「My Way」で締めくくり、さらにアンコール演奏の後、会場のみんなと一緒に「故郷」を唄い、今宵の良いひとときを共有しました。

「忘れない、忘れまい」という曲、初演は、都留市の「都の杜うぐいすホール」で、その時の練習風景でしょうか?YouTubeにアップされているので是非聞いてみてください。

心にしみます。

忘れない、忘れまい

 

↑ クリックするとYouTubeで聞けます。

 

国内最大規模の水田跡

奈良マラソンの前日、箸墓古墳の次に訪ねたのが、御所市にある中西遺跡だ。

万葉まほろば線から和歌山線に乗り継ぎ、玉出駅に降りた。もちろん無人駅なので、車内で降りるときに切符を渡す。

玉出駅から地図を頼りに南西の方向にある現地に向かった。

途中、部活中の生徒が「こんにちは」と挨拶してくる、地方に行くとよく見受けられる光景だが、何とも良い。

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20分ほど歩いたろうか、現地と思われるところに着いた。

京奈和道の工事に伴って遺跡は発掘されている。

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秋津遺跡と中西遺跡は隣接していて、もちろん柵があって中には入れないが、覗くことはできる。

中西遺跡の現地説明会は一ヶ月ほど前にあったばかりだが、それによると、弥生時代の前期、約2400年前のもので、水田跡として今までに発見された隣接する水田を合わせると、約2万平方mに及び、国内最大級となるそうだ。

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今回の水田跡は、約850枚からなり、いずれもあぜ道で細かく区切られ、水田1枚当たりは、東西で4m、南北で3mと小さいものが多い。

水田は水を貯めるために水平でなければならない。

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面積を広げると、この水平の土木作業が必要になるので、小さくしたのではないかという説もある。

小さい水田どうしは水口によて連結されており、水が徐々に行き渡るようになっていた。

なかなか良いものを見た、ちょっと遠いが来てよかった。

交互信号

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 奈良の飛鳥寺を訪ねたときに通りがかった道路、交差点でもないのに信号が?、交互信号だった。

進めが20秒と短く、止まれが4分と長い。

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レンタサイクルでここを通過したのだが、確かにこの道路を通過するのには余裕をみて4分必要かもしれないと思った。

知らない街を訪ねて、こういう風景に出合うと楽しくなる。

箸墓古墳

奈良マラソン参加のため、金曜日の夜に高速バスに乗り、土曜日の早朝7時前にJR奈良駅に着いた。

軽く朝食を済ませ、向かったのが箸墓古墳になる。

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JR奈良駅から万葉まほろば線に乗り、25分ほどで着いたのが巻向駅、無人駅だが運良く係りの人がいたので道順を聞けた。

進行方向右手に小高い森が見える、それが箸墓古墳だった。

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山の辺の道というマークが路面にあるので、それを辿っていけば着くという。

箸墓古墳は、240年から260年の間のものと見られており、248年ごろに亡くなったとされる邪馬台国の女王、卑弥呼の墓である可能性が高いとも言われている。

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古墳までたどり着くと、早朝ということもあるのだろうが、凛とした空気が漂っている感じがした。

ゆっくりと古墳の周りを歩く、前方後円墳なのだが、歩いている分には全く分からない。

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当然ながら、この古墳の管理は宮内庁になる、もちろん立ち入り禁止だ。

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鳥居がでてきたので、手を合わせてさらに進むと池に出た。

水面は凍っているが、それほど寒さは感じない、古墳の向こうから朝日が射してきた。

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思いつきで来た古墳だったが、思いのほか良かった。

参加賞

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 奈良マラソンの参加賞は、オリジナルナンバーカード留め具にTシャツ。

完走賞は、ゴールと同時に肩に掛けられる大判のフィニシャーズタオルに完走メダルだ。

そして、今年のTシャツは、奈良らしいデザインで、お気に入りだ。

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<Tシャツのデザインに完走メダル>


仮装ランナー

12月11日(日)に開催された奈良マラソン2011でも多くの仮装ランナーが走っていた。

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グループ走では、ゴレンジャー?。

少なくてもスタートしてしばらくは5人で走っていたが、5kmほどゴール手前あたりから、別々に走っているのを見かけた。

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12月の定番と言えば、やはり、サンタクロースか!バニーガールもいる。

(ダッシュして前に行き、写真撮って良いですかって必ず聞いてから撮っています)

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そして何と言っても奈良マラソンならではの仮装といえば・・・、追いかけて撮れたのが、千手観音にセント君だった。

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ダッシュしたり止まったりして写真を撮る。

こんなことしているから、後半、歩いてしまうことになってしまったのだが、それでも楽しい奈良マラソンなのだ。

奈良マラソン2011

昨年、平城京遷都1300年記念で開催された奈良マラソン、一回限りの大会かもしれないと思っていたが、今年も12月11日(日)に開催された。

宿泊は、大会会場のすぐ横にあるユースホステルだったので、9時スタートにも関わらず、部屋を出たのは8時15分ととても楽だった。

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トラックで軽くアップし、走友と二人でCブロックに並んだ。

9時にスタート、有森さんやセント君に見送られながら走り始めた、暫らくは下り基調だが、体が温まっていないので慎重に足を進めた。

足裏に故障をかかえているので、記録は望まず、カメラ片手に走ったのだが、このカメラが防水・防塵・GPS機能が付いているので意外と重たい。

走りながら片手でシャッターをきると、その重みで、微妙に被写体からずれて何も撮れていなかったりするので、何回となくシャッターをきった。

平城京跡を右手に朱雀門前を通過し、間もなく最初の折り返し、5km地点だ。

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ここからは奈良公園の先まで上りになる。

再び、平城京跡で立ち止まり写真を撮っていたら、応援の方が大変だと声をかけてくれた。

上りだが、今までのところは順調だ。

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近鉄奈良駅を過ぎ、左手に県庁、さらに東大寺と進み、奈良公園になる、ここで走友の奥さんから声援をもらった。

右手に折れると間もなく10km、左足裏に痛みがでてきたが、まだ我慢できる範囲だった。

長い直線的なコースも16km手前で左折すると緩やかな上りになり、やがて勾配が増してくる。

Pc110118長い竹を横にして、何人もの方が短い竹をバチにして打ち鳴らして応援してくれるのが嬉しい。

山のような上りは何とか歩かずに行けたが、下りは足裏の衝撃がきつくなってきた。痛み止めの薬は飲んだのだが、あまり効いていないようだ。

天理に入る、先に行った走友が折り返してきてタッチした、元気なようだ。

この天理の25km過ぎのエイドでは、ゼンザイを頂く、ほっと一息つきまた走り始めた。

ここでカメラのバッテリーが切れてしまった。GPSをOffにしておけば良かったとちょっと後悔したが後の祭りだ。

足裏の痛みから、たいした練習もせずに参加したので、だんだんと歩いたり走ったりという状態になってしまった。

ここからが、ゴールまでが非常に長かった。

途中、去年とコース変更になったところも小刻みにアップダウンが続き、元気だったらさぞかし面白いコースだろうにと思った。

大仏殿、39kmあたりで再び走友の奥さんに声援をもらうも、もはや応える元気がなくなってきていた。

最後の上りも歩きが多くなり、声援が多いなか辛かった。

そして、鴻池競技場の中に入りゴール、4時間41分52秒だった。

フィニシャータオルに完走メダルをかけてもらい、今年の最後のレースを終えた。

11月の河口湖マラソンがリタイアだったので、何とか完走できて良かった。

足裏の治療をしっかりとし、また来年、奈良マラソンに参加したいと思う。

第16回加須こいのぼりマラソン

12月4日(日)は、埼玉県内のマラソン大会が目白押しだ。

川口マラソンに所沢シティマラソン、そして、わたしが参加した加須こいのぼりマラソンになる。

ただ、加須こいのぼりマラソンは正式なエントリーでの参加ではない。

毎年、秋口から春まで行っている伴走ボランティアによる参加だ。

秋の初っ端の大会は、自分の大会参加と重なってしまったため、この大会が今シーズン初の伴走となった。

パートナーは、K君だ。もう何回となく一緒に走っているので、走る時のフォームや性格などもある程度は分かっているつもりだ。

今回は10kmの部で走る。

加須市役所から少し駅寄りに行ったところがスタート地点になる。

会場からは少し離れるが、そのぶん、市役所の空いているトイレが使えるのでありがたい。

9時15分にスタート、気温は低くないが、風が強く吹いている。

K君の走力では1時間以上掛かるので、ジャージにナンバーを付けて走ることにした。

わたしもウィンドブレーカー上下で走る。

商店街を抜けて郊外に出る、若干汗ばむが、風が吹いているのでそれ以上のことはない。

給水をしっかり取り、東北自動車道の側道では向かい風となった。

制限時間が、1時間半と聞いていたので、この強風の向かい風で走るのを止めてしまったら、完走は厳しいかと思ったのだが、K君も頑張る、わたしが前に出て風よけになって背中についてもらった。

ラスト200mほどだろうか、猛然とスパートをし始め、慌てて付いていき、そのままゴール。

1時間20分ほど掛かったが、K君とくに疲れを見せず給水しバナナを頬張り、みんなが待つ体育館に一緒に戻った。

わたしの役目はここまで、一人になり、会場内でトン汁に加須名物のウドンを頂き帰路についた。

今シーズンの伴走は、あと2~3回を予定している。パートナーに迷惑を掛けないようにしっかりと練習をしようと思った。

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