北海道には14年連続で毎年行っているが、空知という言葉を意識したのは割と最近になる。
天気予報で空知は晴れとか曇りとか聞くことがあるが、どこの地域なのかさっぱり分からなかった。
そもそも、いきなり漢字をみても、はて何て読むのやらと以前は思ったものだ。
空知は「そらち」と読む。
今週初め、そんな空知をみんなに知ってもらいたいという想いがつまった「SORACHI 空知へ」という冊子が届いた。
空知エリアは北海道の中心部にあり、総面積は東京都の2.5倍あるが、人口は約33万人だそうだ。
空知エリアは、札幌への通勤圏である岩見沢市や近年話題になった夕張市が含まれるが、今年の9月に走ったばかりのコスモスマラソンの滝川市も空知エリアだ。
ここには松尾ジンギスカンの本店があるので有名だ。
また、旨い日本酒「金滴」の金滴酒造は新十津川町だし、わたしの好きなワイン「うらうす」のブドウ畑がある浦臼町も空知エリアだ。
日本一長い直線道路(29.2km)は、焼き鳥でも名をはせている美唄市から奈井江町、砂川市を経て滝川市に連なっている。
そんな空知の魅力を情報発信しようと、空知夢創造研究会が発刊したのが「SORACHI 空知へ」という冊子だ。
冊子を読んでいるうちに、行きたくなってきたな~、空知へ。
2012年11月
11月25日(日)大阪マラソン2012に参加した。
スタートが大阪城公園なので、JRや地下鉄で最寄駅がいくつかある。
昨年は大変な混雑だったように聞いていたので、7時前にはホテルを出た。
荷物預けの場所やスタートブロックの位置を考え、泊まったホテルが住之江公園だったこともあり、四つ橋線の本町経由で中央線の森ノ宮で降りた。
思ったほど地下鉄も公園内も混雑はしていない。
すでに日差しがあり、そう寒くもないので、早々に着替えて荷物を預けた。
スタートブロックに向かっていたら、福知山マラソンで応援をしてくれていたYMRCのMさんから声を掛けられた。
昨年も走ったということで、スタートブロックの確認からトイレまで案内してもらい大変助かった。
9時にスタート、走り始める。
福知山で痛めた左膝や足裏、さらに右臀部にもテーピングをしたのだが、それが効いているようで、足は重いが、前には進める。
目標は、4時間30分だが、これは意外に厳しいかなと思った。
御堂筋に入り8km地点手前あたりで、YMRCののぼり旗が見えた、向こうも見つけてくれて声援を送ってくれた。
この御堂筋のコースは良い、紅葉した銀杏並木を走るのはなかなか気持ちが良い。
折り返してまたこの御堂筋を走る。
凄いと思ったのが、トイレの数だ。
コース上のあちらこちらにある。
しかも、ボランティアがコースを外れたランナーをトイレまで連れてってくれる。
トイレには別のボランティアがいて、数か所あるトイレのどこか空いているか絶えずチェックしており、直ぐに案内してくれるのだ。
コースに戻るときには、必ず、ボランティアからコース上に戻るランナーがいると声を出してくれる。
これは凄い、ちゃんと機能しているが素晴らしい。
同じ都市マラソンだが、東京と違うのは、高速道路の高架が多いことだ。
解放された空を見ることができない。
その分、雨が降ったら雨除けにはなるし、暑かったら日除けになるので何とも言えないが、やはり、もう少し空が欲しいと思った。
4時間、4時間半のペースランナーにもあっさりと抜かれ、足が重たくなってきた。
すると、30km過ぎの大エイドが待ち構えていた。
稲荷ずし、かっぱ巻き、しんこ巻き、出し巻き卵、冷きゅうり、バームクーヘン、ゼリー、コロッケ、プチトマト、どら焼き、モナカとほぼ全部食べた。
エイドの人たちとも会話が弾んで、やはり関西弁はテンポが良い。
35km過ぎたあたりだろうか、女性ランナーが道端に座って苦痛な顔をしていた。
大腿部が攣ったようだ。
伸ばしましょうかと声を掛け、しばらくマッサージをしてあげた。
緩和したようなので、ゆっくりで良いから、ここまで来たのだからゴール目指しましょうと声を掛け、先に足を進めた。
ゴールまで僅かだが厳しい、歩きたくなるのを我慢しながら前を見て進む。
また、YMRCの方々から声援を受けた、本当にありがたい。
途中で痛み止めのロキソニンを服用したので、なんとか持ったようで、やっと、ゴールできた。
速報値で、4時間37分01秒。
福知山の疲れ、エイドでの休憩、途中でマッサージしもしてあげたし、目標には及ばなかったが上々のタイムだ。
完走メダルをもらい、タオルを掛けてもらって、大阪マラソンを終えた。
東京マラソンと違うのは、そこから、全国の食べ物屋が集まっているところだ。
札幌の走友と一緒にビールにたこ焼きで乾杯した。
大阪マラソン、なかなか良いです。
時期的に紅葉もあって、また来年参加したいと思っていたが、来年は10月開催と案内があった。
うーん、紅葉の時期よりは宿泊が取りやすいと思うが、10月だとまだ暑いだろうなと思う。
11月23日に開催された第22回福知山マラソンに参加してきました。
全国ランニング大会100撰の常連で、人気が高く、走ってみたいと思う大会に今年やっと参加することができた。
参加申し込み時点で、すでに福知山市内にはホテルが無く、綾部というところに泊まった。
スタートは10時半と大阪や京都などから当日移動できるような設定になっている。
それでも、事前情報として大変な混雑が予想されることから早めの行動が良いと思い、8時には福知山駅に着いた。
会場まではシャトルバスで向かうが、すでに渋滞が始まっていた。
会場に着いたのが、8時40分ぐらいか、直ぐにナンバー引換をして、別の場所に設置されている参加賞受取のテントに行ったが、大変な混雑になっていた。
ボランティアの方しかいないのか、大会プログラムが無いようだ。
右往左往して、やっと大会プログラムなどが入った袋が運び込まれて難を逃れた。
雨が降っているので、体育館に行ったが、なかなか入れない。
10,000人が参加する大会で、普通の体育館の大きさでは収容はしきれない。
しかも貴重品預けは、この体育館のなかで受け付けている。
人気があって、歴史ある大会と思っていたが、運営面では何とも心もとない。
あっという間に時間が過ぎていく、なんとか、着替えるスペースを確保し、直ぐにスタートブロックに向かった。
陸連登記での参加だが、ブロックがFブロックだった。
申告タイム順だそうで、この大会は陸連枠は関係ない。
3分50秒ほどでスタートラインを通過し、コースは下りになる。
市街地を抜けると、由良川沿いの走り易いコースだ。
雨が降ったり止んだりするなか、足を進めていくと、突然、SMRC頑張ってと声援を受けた。
YMRCの方々だ、TシャツのロゴがYとSの一字違い、デザインは同じなのだ。
まったく知らぬ土地で声援を受けると嬉しくなる。
毎度のことだが、20kmを過ぎるとペースががくんと落ちてきた。
4時間一けた台の目標だったが、厳しくなってきた。
この大会は、視覚障碍者が多く参加している。
その配慮が、給水エイドにも表れている。
一般の給水テーブルより、100mほど手前に障碍者専用の給水テーブルが設置されているのだ。
これは良い取り組みだと思った。
再び、YMRCの方々にお会いし、コーラを頂いた。
最後の登りは挫けちゃいけないと頑張り、ゴール。
速報値で、4時間19分59秒だった。
やはり、福知山は遠い。
なか一日をはさんで、大阪マラソンにでるため、大阪のホテルに向かうが、特急でも2時間半かかった。
確かに走り易いコースなので、きちんと練習をつめば良い記録が出ると思うが、如何せんアクセスが良くない。
何かのついででない限り、関東から遠征して、もう一度参加したいとはなかなか思えない。
放射性物質を含む「指定廃棄物」の最終処分場を栃木県の矢板市にとニュースになっている矢板市の高原山(たかはらやま)の麓で開催される、矢板たかはらマラソンのハーフの部に4年ぶり3回目の参加となった。
会場は運動公園で、参加者はハーフ、10km、5km、3km、2km、ジョグなどのカテゴリーの中で参加するローカル色豊かな大会です。
コースは、高原山のふもとをリンゴ畑を縫うように走るもので、スタート早々下りで、ここで気持ち良く行ってしまうと後半に足が残せなくなるので要注意です。
わたしは、スタート2時間前に会場に着き、時間前だったが準備中のナンバー受付をしたところ、最速賞ですね、おめでとうございますと言われ商品を頂いた。
大会プログラムを見ると、インターネット申込み一番の方に商品をと私の名前が書いてありました。
なんでも頂けるものなら嬉しい、リンゴソースにゼリー、チーズケーキだ、有難く頂戴する。
車の中でゆっくりとナンバーを付け、産直のリンゴ、さつまいも、しいたけ、漬物を会場で買った。
アップは隣のサッカー場で入念に2km行い体を温めほぐした。
スタートは10時、気温11℃前後、湿度58%のなか、まずは順調に下っていきます。距離表示は1kmごとにあるのでペースの把握はし易く、体の重心、体幹を意識して足を真下に下ろす感じでストライドを大きくしないで走ることを心がけました。
最近の走るスピードや昨日の筑波山登山の疲労も考え、平均で5分30秒/kmペースで考えて走った。
2.5km過ぎからアップダウンを繰り返し、最大高低差70mほどを進む。8km辺りからだろうか、コースの左右にリンゴ畑がでてきます。道端から簡単にもぎ取れるところに沢山のリンゴがなっている。
ゴール手前は急坂でゼイゼイするなか、運動公園のトラックにゴールした。
この大会のベストタイムより10分も遅いが、走り切った満足が先に立つ。
帰り道、温泉に浸かり、帰路に着いた。
11月3日(土)文化の日に開催された、湘南国際マラソンにスポーツボランティアとして参加した。
朝が早いので、平塚のホテルで前泊し、当日は6時に出発、茅ヶ崎サザン本部が設置される茅ヶ崎球場の駐車場に6時半前には着いた。
私の役割は、往路の第3給水(10.8km地点)と復路の第8給水(26.7km地点)を含むエリアのサブブロック長だ。
大きく二つ、給水チームとコース上誘導チームがあり、それぞれにチーフがいて、さらに細分化され、コース上誘導チームは4つに分かれリーダーがいる。
給水チームもチーフのもと、5班に分かれそれぞれに班リーダーがいる。
他に救護所が設置され、医師とコーディネーターに一般ボランティアがいる。
ようは、組織化されたチームによって運営されるわけで、突発的な何かが起こらない限り、サブブロック長は雑用係のようなもので、いかに、チーフやリーダーがチームをまとめ易く動けるかを考えて行動すれば良いのだ。
簡単にチーフ以上のミーティングを終えると、リーダーが集まりだし、一般ボランティアの受付を始める。
8時からの受付だが、だいたい8時前には受付を終えることが出来た。
第3給水は、備品テントから、給水テーブルや水・スポーツドリンク・給食などを台車に積み、所定の位置に配置していく。
台車が4台しかないので、取り合いになるが、やがて収まる。
ここ第3給水所の難点は、歩道と車道の間にフェンスがあることで、自由に行き来できないのが辛いところだ。
9時にフルマラソンがスタートしたが、コップに水やスポーツドリンクを注いでいく作業を延々と続ける。
あらかた良しとした頃、9時30分過ぎには、トップランナーが通過していった。
さすがに速い、後続が続かないので、ボランティア皆が拍手で見送った。
やがて、ランナーたちが来始めた。
この時間に通過するランナーは、レーズンや飴などの給食は取らない。
平塚方面を見ると道路一面のランナーたちが見える、彼らが通過するときに給水が不足しないようボランティアの人たちも頑張っている。
ランナーたちのマナーは良い。
ボランティアの人たちに「ありがとう」の声を掛けてくれたりする。
もちろん、ボランティアの人たちも、作業をしながら、「頑張って」「楽しんで」など応援していた。
第3給水所が第一関門となっており、閉鎖時間は10時56分だ。
関門をギリギリ通過するランナーたちには、大きな拍手がおこる。
関門に未だ届かないランナーたちには、早くと大きな声援がおきた。
関門時間が過ぎたら、直ぐに撤収作業だ。
交通規制が解除されるので、まず車道の方を先に片付ける。
大量のコップが残ったが、それはある意味、ランナーたちに不便を掛けなかったということで良いのだが、片づけが大変だ。
重いテーブルをたたみ、台車に載せて元あった場所まで移動するが、最後のテーブルは交通規制が解除となったので、歩道側に移動し、歩道上で撤収を行った。
撤収を終えた第3給水の各班は、終了ミーティングをして解散となった。
復路の第8給水所では、日差しが強くなり気温も上がってきたので、水が不足するといけないと、第3給水の余った水を台車に積み、持って行くことにした。
ランナーが走っているのでコースを横断することはできない。
海へ行く地下道を横断して持って行くが、重たくて腕が棒のようになった。
それでも給水は足りたので良かった。
第8給水所の先に柳島第3関門(28.3km地点)があり、13時17分に閉鎖された。
まだまだ歩いたり走ったりというランナーはいる。
このようなランナーたちを歩道に上げなければいけない。
撤収も始まっている。
テントや給水テーブル、ゴミの回収など積み込むと、こちらも交通規制が解除された。
朝6時半から14時ぐらいか、濃密な時間が過ぎた。
ここ茅ヶ崎サザン本部のエリアでは事故もなく終えることができて良かった。
みちくさマラニック走援隊が主催するマラニック大会に参加した。
横浜から江ノ島まで三浦半島を走るというもので、パートを三つに分けて行われる。
わたしは、最初のパートの横浜から浦賀までの40kmには所要で参加できなかったのだが、4日(日)の浦賀から三崎口までの30kmに参加した。
京浜急行浦賀駅で受付を済ませ、9時過ぎには総勢10名でスタートした。
浦賀の渡しを左手に見ながら、前に進む、まずは、浦賀港の入り口にある「燈明堂」に行った。
何度も浦賀には行ったことがあるが、こんな場所は初めてだ。
歴史的な謂れなどもあり、興味深かった。
浦賀を抜け、久里浜のペリー公園を抜けると左手には火力発電所がある。
トンネルを抜けると、実家に帰った時の練習コースでもある野比海岸だ。
マラニックなので、そんなに早く走らず、また、要所要所のコンビニで休憩を取る。
トイレに行ったり、小腹がすいたのでパンやオニギリを食したりと自由気ままなので、ひたすら休まずに走り続けたいというランナーには不向きだ。
三浦海岸からは、三浦国際市民マラソンの10kmの往路のコースをたどる。
急坂を上りきって、ここで寄り道、少し下り、松輪会館を過ぎたあたりを左折すると向かう先は、剱埼灯台(つるぎさき)、ここでほぼ走行距離20kmだ。
伊豆大島が大きく見え、遠く富士山も見える、なかなか良い場所だ。
元の道に戻り、三浦国際市民マラソンのハーフのコースを今度は逆走することになる。
毘沙門湾を通り、風力発電の宮川公園を抜けていくと北条湾に出た。
湾をぐるっと回っていくと左手前方に城ケ島大橋が見えた。
三崎の商店街を抜け、観光客で賑わう「うらり」、走行距離29km、ここで40分ほどの大休止となった。
それぞれ、休んだり、マグロ丼を食べに行くものがあったりのなか、わたしは、トロマン、250円を頂いた。
あとは、バス通りを緩やかに登っていく、歩いたり走ったりで、京浜急行三崎口駅に15時過ぎに着いた。
ここまでの所要時間、休憩などすべて含み、6時間17分。
ただし、休憩時間を除くと、4時間44分になる。
距離は、わたしのForerunner 910XTで、35kmだが、他のメンバーたちの記録は33kmや33kmとまちまちだった。
なかなか面白い大会だった。
マラニックとは、マラソンとピクニックの合成だが、さらにこれらに寄り道が加わる。
ひたすら速く走りたい人には不向きだが、のんびり行きたい私にとっては良いイベントだ。
それにしても三浦半島のコース上にはまだまだ知らない場所がある、浦賀の燈明堂や剱埼灯台などとても良かった。
来年の春にはプレイベントながら三浦半島ウルトラ(60km)を計画しているという、ぜひ参加してみたいと思っている。