2014年06月
50km以上のウルトラマラソンの参加は、最長距離の萩往還250kmを含めて22回を数える。
そのうち、関門に引っかかったり、ひざの痛みだったりしてリタイアしたのが5回なので、完走は17回ということになる。
100kmの大会は4回走っていて、完走は3回、ベストタイムは、2001年に参加した四万十川ウルトラマラソンで、13時間31分17秒だ。
そして、今回新たなチャレンジとして、その地に立ちたいと長年思っていた「サロマ湖100kmウルトラマラソン」を走ることにした。
この大会の制限時間は、13時間。
十数年前の若いころのベストタイムでは、この大会では関門に引っかかってしまうのだ。
つまり、サロマ湖を完走できれば、100kmの自己ベスト更新ということになる。
一応、2月から5月までの4ヵ月は、月間走行距離が200kmを超えた。
この間に、長距離練習として、フルマラソンの大会に3回、60kmの大会に1回参加した。
ここにきて、左の膝と踵が少し痛むのが不安材料ではあるが、救いは、間違いなく若い頃よりはフォームが安定していて、コントロールの力が付いているという思い込みぐらいだ。
29日(日)5時スタート、天候も気になるところだが、さて、どうなることやら?
5月24日(土)に開催された三浦半島みちくさウルトラマラソンの完走証明証とゴール写真が主催者から送られてきました。
同封された「お礼状」によると、100kmの完走は、192名/271人(完走率70.8%)、60kmの部は、350名/389人(完走率90%)で、大変高い完走率に主催者もビックリしたと書かれていました。
完走者の数は、制限時間内ゴールということはなく、その後も1時間半ほどは待っていてくれたようで、大会の暖かさが伝わります。
速さを競う大会ではないので、特に順位はありませんが、完走者一覧は、タイムが速い順に記載されています。
数えてみると、わたしは、120番目なので、半分よりだいぶ上ということになりますが、走っている最中は、かなり後ろの方かと意識していましたので、これはこれで正直驚きなのです。
大会主旨に則って、三浦半島の海と空と地を道草しながら楽しんだランナーが多かったということでしょう。
そして、この完走証明証の文言がなんとも良いのです。
車で20分ほど、柴又100kのエイドをしに行ってきました。
速いランナーのエイドをしても仕方ないので、13時半過ぎに行きました。
ほぼ真上の太陽はギラギラとし、河川敷なので樹木の日陰は全くなし。
最初に持ち込んだのが、コーラ2リットルが3本に氷2kgが3袋、それに紙コップが60本にビニール袋、〆て1500円ほどでした。
さっそく始めましたが、冷たいコーラあるよ!っと呼ぶと、走るというよりは歩きのランナーが一口含んで「ありがとう」「生き返った」という声を聞き嬉しくなってしまいました。
次から次に来てくれて、あっという間にコーラは無くなってしまいました。
次にビニール袋に氷を二三個入れて渡しました、これも喜んでもらいましたが、氷が無くなってしまいそうなので、ここからは氷一個一個渡すようにしました。
途中、近くでランナーが倒れて、コースアルバイトの方から、氷を分けてもらえますかと言われ、もちろん喜んでビニール袋に数個入れて渡しました。
すべて無くなったが、まだランナーが来るので、急いで近くのコンビニに氷を買いに行き、戻ったら、すでに数人のランナーしかいませんでした。
そこで、さらに下流に行き、杉戸あたりで、氷を渡すことにしました。
この辺りだと、80km関門ギリギリなのか、あっという間にランナーがいなくなると同じぐらいで4kgの氷も無くなりました。
わたしウルトラは嫌いじゃないですが、こんな過酷な大会は遠慮したいです。
参加されたランナーのみなさん、お疲れ様でした。