気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、古希を過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

47都道府県走破

みえ松阪マラソン

みえ松阪マラソン、三重県の大会参加は、2017年の鈴鹿山麓かもしかハーフマラソン以来となる。
そして三重県としては初のフルマラソンの大会なのだ。
本来なら2020年に開催が予定されていたのが、新型コロナウイルスの関係で今年まで延期になった大会だ。

会場に近い松阪駅周辺はホテルが限られていて、伊勢市駅近くのホテルに泊まり、当日は電車異動で会場に向かった。

既に風があり、寒い、ビニールを被り仲間たち探したが見つからず、一人でスタートブロックに並んだ。
会場が狭く、スタート地点が見通せずブロックの位置も変則的になっている。
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スタートしてから鉄道のオーバーブリッジを抜けると折り返しのコースになる、運よく走友声を掛けてもらった。
松阪駅までの商店街を折り返すとあとはのどかな田舎道なのだが、小刻みなアップダウンの連続、寒いし風があるしで、なかなかのコースだ、寒くて2回もトイレに寄った。

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エイドは豊富だ、特に松阪牛のサイコロステーキ、美味しかったな〜、ビックリはトンネル内のプロジェクションマッピング、これは凄かた。
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そしてゴールまでの最後の登り、こんなにアップダウンがあるとは、もうちょっとしっかりコース図を見ていれば良かったと思った。
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NAHAマラソン

3年ぶりに開催されたNAHAマラソン、自身8回目の参加になる。
11,933名がスタートし、
最高気温は26.1℃のなか制限時間までにゴールしたのは8,076名、完走率は67.68%だったそうだ。
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やはり参加者が少ないのか、以前よりもスターラインに近い位置で待機することができた。

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スタータは、朝ドラの黒島結菜さん。

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天候急変で小雨も名物のYMCAもあった。

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折り返し地点。

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コースアウトして、ひめゆりの塔でお祈り。

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無事にゴール。

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完走メダルにオリオンビールは良く似合う。


福岡マラソン

福岡県を走ったのは、25年ほど前になる。
シティマラソン福岡という大会で、フルマラソンはなく、10㎞とハーフを走った。
わたしの10㎞の自己ベストが、このシティマラソン福岡で、42分28秒になる、今では頑張っても55分程度なので、むかしは速かったんだな・・・。

そして、18年ぶりの福岡で走るのはフルマラソンなのだ。
スタートは、賑わいを見せる街の中心地、天神。
運よく前泊地は同じ地域のホテルだったので、徒歩5分で会場に着いた。
都市マラソンが良いのは、走る格好そのまま会場入りして荷物を預けるだけという手軽さだ。

スタートブロックはGブロック、天気予報は雨だったのだが見事な晴れ、8時20分にスタートした。
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しかし、スタートして1時間も経たないうちに小雨が降ってきた、高温が心配だったので助かった。

病み上がりということもあり、キロ7分あるいは心拍が144以下で走ると決めていた。
エイドでの給水も慌てずに立ち止まって飲むことを心掛けた。

曇り空で日差しがなく気持ちよく走れる。
海沿いのコースでは、船からの応援が凄い!
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九州大学構内を通る567号線の折り返しは30mほどを登って下る、歩いているランナーもいるが、この程度のアップダウンが気持ち良い。
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エイドは充実している、なんだか沢山食べたな~、特に良かったのは「うどん」「みかん」みかんは二カ所で食べた。
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30㎞過ぎからはアップダウンの連続になる、いつもならこの距離ぐらいで攣る傾向があるのだが、流石にスピードがないせいか気配はない。

景勝地、二見ケ浦が35㎞付近
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35㎞を通過して、もう心拍は気にしないことにした。
それでもキロ7分程度なのだが、面白いように抜く、はぁはぁゼイゼイしだしたので、エイドではしっかり給水して頭から水を被り、ラストスパートした。
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コースのアップダウンはこんな感じ
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ラップはこんな感じ
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40㎞過ぎてからの2.195㎞を13分23秒、キロ6分6秒だった。

そして順位の変動はこんな感じ。
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中間地点からゴールまで、1,300人抜いた、気持ち良いわけだ。
 






長井マラソン

山形県のマラソン大会の参加は、2010年の葉山山岳マラソン以来、もちろんフルマラソンは初めてとなる。
大会会場にも駐車場があるが、長井駅や市内の駐車場やホテルからもシャトルバスが出ている。
8時前には会場に着き、体育館に先にいた仲間の美ジョガー二人を見つけた。
二人は、のんびり景色を楽しみながら走ろうと思ったけど、各地点の関門が厳しいよねと話しているのを聞きながら、まぁ大丈夫だろうと高をくくっていた。

スタートラインに向かう途中でいも煮の準備だった、大きいな。
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良い天気のなか、仲間たちと9時25分にスタート
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先ずは、女房が応援してくれる予定の羽前成田駅(9.3㎞)を目指す、順調な滑りだしだった。
女房に無事に会えた。

12㎞辺りから山に向かって若干の登りになる。
ちなみにエイドの固形食は昨今の影響で個舗装のもの、けっこう豪華で最後まで無くなることはなかった。
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山沿いの集落を進み中間点は大会会場だ、少し前から腹模様がおかしかったのでトイレに駆け込む。

23㎞地点で思いがけなく再び女房が、クマ鈴を鳴らしランナーの応援をしていた。

徐々に足が重くなり、25㎞過ぎた辺りからは脚が攣り気味になってきた、前方の山を見ながら走る。
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我慢できず、30㎞で芍薬甘草湯を飲んだが、攣りは収まらない。
急に痙攣が起きて、しばし立ち止まることが増えてきた、このままだと完走はなかなか厳しいと思った。

35㎞を過ぎて、このコース唯一の折り返しで、仲間たちと出会った。
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10分以上/㎞の走りだったが、声援を受け、もうちょっと頑張ろうと思った。
折り返したところで再び攣った、今までは脹脛だったのだが、今度はハムストリングだ。
前に歩いて暫くすると、右の肩甲骨周りを引っ張られた、振り向くと誰もいない、こんなところが攣るのかビックリした。

ランニングポーズをとっているのだが、歩いているランナーに抜かれる。
40㎞通過で、諦めたランナーが何人かいた。
わたしも仲間がいなかったら、とっくに止めていたかもしれない。

陸上競技場に入る手前で先にゴールしていた美ジョガーたちの声援を受けた。
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よしもうひと踏ん張りすればぎりぎりゴール関門はクリアするかと思ったが、トラックに入ってタータントラックでツマヅキ転倒し攣った。
それでも我慢して走ったら、再び躓いて転倒してしまった、ゴールまであと300mほどだが、この時点で完走を諦めた。
少し歩き、攣りも収まってきたようなので、仲間がゴールで待っている、歩いてゴールとはいかない、走ってゴールしようと・・・。
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結果、5時間31分12秒。
タイム計測が止まっていないので、これは完走なのかなと思いながらも、目の前が薄暗くなってきて芝に倒れてしまった。
美ジョガー二人が、日差しが当たらないようにしてくれたり、水を持ってきてくれたり介抱してくれた、感謝感謝だ。

そして、後日談
WEB完走証がダウンロードできたので完走だ。

ちなみに大会案内にある関門距離と時間を整理してみた。
関門 距離 関門時間 関門ペース
第1関門 9㎞ 1時間4分 7分6秒/㎞
第2関門 21㎞ 2時間30分 7分10秒/㎞
第3関門 31㎞ 4時間 9分/㎞
第4関門 35㎞ 4時間35分 8分45秒/㎞
第5関門 ゴール 5時間30分 7分38秒

31㎞から厳しくなるとは思ってもいなかった、全体平均で7分49秒/㎞だったとは。

自身のラップを見ると、37㎞以降は10分/㎞オーバーだったので多少の貯金があったことが分かる、そしてラストの500mで10分も掛かっていた、よくまあ完走できたと自分でも思う。

完走後のいも煮とおにぎりは胃が受け付けず、残念だった。
チップは自分で外すことが出来ず、ボランティアの方に頼んだ。
預けた荷物を受け取り、なんとか最終のシャトルバスに乗ることができた。
 
まぁ、しかし、これでフルマラソン完走は163回となった。
 


大会完走600回

昨日走った、新潟シティマラソンのゴールで全ての大会の完走の数が600回となった。

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初めての大会参加は、1995年10月の渡良瀬遊水地ゆうゆうマラソン5㎞だったから、それから27年かけての完走600回なのだ。

ちなみに大会参加数は622回なので、22大会でリタイアしたことになる。
そして、大会エントリーしながら体調不良もあるが、台風や新型コロナウイルスなどの影響で中止になりスタートラインに立てなかった大会数は50回にもなる。

主なカテゴリー別の完走は、フルマラソン完走は162回
ハーフマラソン完走は152回
10㎞完走は77回
5㎞完走は49回
ウルトラマラソン、ジャーニーランの完走は26回
トレイルランの完走は22回になる。

他には、クロカン、駅伝、デュアスロン、アクアスロン、トライアスロン、スイミング、スノーシューなどの大会で完走した。

これらはすべて、胸にアスリートビブスを付けた大会の参加であり完走数なのだ。
そして、ナンバーはないが、伴走者というビブスを付けて障がい者の方と走って完走した大会が51回ある、これは私にとってもちょっと自慢なのだ。


甲府・小瀬スポーツ公園 Trial Marathon

今年参加したフルマラソンの大会は、この「甲府・小瀬スポーツ公園 Trial Marathon」を含めて4回のみになる。
1月の館山若潮マラソンは4時間38分15秒
2月の愛媛マラソンは4時間22分8秒
そして4月以降のフルマラソンは、10月に開催された彩の国マラソンの5時間24分38秒だけだ。

年齢別フルマラソンランキングを楽しみしているので、このままじゃまずいと参加したのが、甲府・小瀬スポーツ公園 Trial Marathonだ。
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もっと近場でも開催されているフルマラソンはあるのだが、前泊すれば余裕があり、少人数での大会ということで選んだ。

山梨中銀スタジアムをスタートフィニッシュとする小瀬スポーツ公園 内の周回2.5kmがコースとなる。
初めての会場なので、前日に下見ランをした。
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白いテープで矢印が示されていたので、何となく走る方向は分かった。

前夜のカーボローディングは、ビール2本とご当地名物のほうとうだ。
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そして当日の朝は、納豆ご飯に卵かけごはん、部屋でも食べられるようにと用意されていたオニギリ2個もスタートの1時間前に食べた。

9時からのウェーブスタートで、15時までにゴールすれば良いことになっていたのだが、最初の時間でスタートラインに立った。
50人ほどだろうか、ソーシャルディスタンスを意識しマスク着用だ。
目標は、70歳代のボストンマラソンのクオリファイタイムである4時間20分以内なので、まずは6分/kmで刻むことにした。

そして今回が初めてなのだが、周回コースで飽きるかもしれないとGamin 245Music で好きな曲を聴きながら走ることにした。

6分/kmは、今までの練習のスピードと同じなので体が覚えている。
心配なのは、20km以上の練習がほとんどなかったのでスタミナが持つかどうかだけだった。

給水はスタジアムを出たところにある。
ポカリスエット(310ml)と水(280ml)、アミノバイタル(ゼリー)などがある。
ランパンの後ろにポケットがあるので、ボトルを取って飲んだ後、ポケットにつっこみ何度か好きな時に給水した。
給食もアミノバイタルで充分、腹持ちが良かった。

思ったほど周回は飽きない。
速いランナーたちに何度も追い抜かれるのだが、それが走るモチベーションになっている。
今までの大会だと、後半はほぼ同じような走力のランナー達と走ることになるし、歩いているランナーもいるので、何となく気持ちが流されてしまうのだが、今回はそう言うことなかった。

30kmまでは、6分/kmで持ちこたえたが、流石に徐々に落ちだした。
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更に脚が攣りそうになったり、足底筋が痛み出した。
攣りは、今までの経験から頑張らない、無理な姿勢をしないでしのいだ。
足底筋はトラックのタータンに救われた。
外周コースは痛むのだが、スタジアム内のトラックのクッションで緩和して助かった。
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終わってみれば、2年前の国宝松江城マラソン(4時間6分37秒)以来のタイムとなった。
本来はサブフォーを目指すべきなのだが、久々の大会参加でこのタイムは素直に嬉しかった。
これで、フルマラソン完走154回、1年後には160回を楽にクリアしていたいものだ。




エイジシュートみたいな・・・。

大会初参加は、1995年10月22日の渡良瀬遊水地ゆうゆうマラソンの5kmだった。
なので、走歴は間もなく、24年ということになる。

初リタイアは、2002年9月22日の秋田内陸リゾートカップ100キロチャレンジマラソンだ。
北緯40度ラインは超えたが、70km手前で脚が動かなくなった。
走り始めて7年後、2度目のウルトラマラソンが初リタイアになった。
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それから今日まで、走るのを止めた理由は様々だが、スタートしてゴールにたどり着けなかったのが20回、この20回の大会をリタイアしたことになる。

今日時点で、マラソン大会の参加回数は、581回になるので、完走した回数は561回だ。
普通のランナーよりは参加した大会の数は多いと思う。

ゴルフではエイジシュートというのがある。
ゴルフの1ラウンド(18ホール)ストロークプレイを、自身の年齢以下の打数でホールアウトすることをいう。

自身の年齢 × 10 = マラソン大会回数(or 完走回数)
今だと、
680 > 581 (561)だが、

これを目指せないかと思っている。
先ずは、大会参加回数、スタートラインに立つ回数だ。
エントリーしていながら、自身の都合や降雪、災害などで15大会をふいにしている。
やはりもったいなかったが、東日本大震災など致し方ないことなのだ。

それでも毎年20回以上の大会参加なので、77歳~78歳で到達できるのでないか?

夢物語になるかもしれないが、まずは、健康で長生きしないとダメ、でも、チャレンジのし甲斐はあると思っている。
 



千葉県:47都道府県の大会

全都道府県制覇へ、残り2県(広島県、長崎県)なのだが、今年はこの2県のエントリーをしていないので達成は来年になる。

千葉県の大会、ハーフマラソンは、手賀沼エコマラソンを1996年から5年続けて走った。
この大会の思い出は、やはり、わたしのランニングライフの原点、Team enjoy_running との出会いだ。
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Team enjoy_running、鉄の掟は、
1.飲みに誘われたら断らない
2.誰もが、イベントや飲み会を企画する(誰かの企画に付いてくるだけはダメ)
3.一つのテーブルで話題を共有する(一つのテーブル以上にメンバーを増やさない)
Teamとしての練習会は多くて年に2回ほどだったが、みんな、あっちこっちの大会を走っているので必ず誰かとは会う。

このTeamのおかげで、いまのわたしがあるとホントに思っている。
この手賀沼で、わたしが50歳記念に来年は、初ウルトラの四万十川を走りたいと言ったら、4人が、では、わたしの完走を後押しするブースターになると言ってくれた、とても嬉しかった。

ハーフマラソンは他に、千葉マリンマラソンを走っている。
陸連枠で、一般よりスタートが早く、少人数なので気持ちよく走れた。
タイムは、1時間40分45秒だった。

フルマラソンは、館山若潮マラソンが7回、佐倉朝日マラソンが2回だ。
館山若潮マラソンは、毎回、横須賀の久里浜からフェリーに乗って参加する。
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温暖な地なので、1月なのに菜の花が咲いているかと思えば、雪の時もあった。

走友会主催の流山5時完走という大会にも2回参加した。
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    (松田千枝さんと)
この大会、7月末の暑い時期にロングを走れるのは有難かった。

最近では、松戸市七草マラソン(10km)に参加しているが、来年は会場のリニューアルで中止になってしまった。

千葉県の大会は、都合、24大会に参加したことになる。
 


埼玉県(その3):47都道府県の大会

さいたま国際マラソンは、さいたま新都心をスタートゴールする女子にとっては選考レースでもあるのだが、さいたま新都心ができる以前には、彩の国さいたまマラソンというのがあった。
今の北上マラソンと同じで、全日本マスターズマラソンを兼ねていて、尚且つ、埼玉県マラソン選手権でもあった。
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季節はちょうど今頃、上尾陸上競技場をスタートゴールで、旧中山道を鴻巣の手前まで走り左折、荒川を越えて吉見でさらに左折し、イチゴ農家を横目に上尾に向かうコースだ。
2000年と2001年に走ったのだが、寒く、風も吹くコースで、そう応援もいない、でもとても良いコースだと記憶している。
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川内優輝選手が県に在職中に復活して欲しいと思っていたのだが、叶わなかったな。
そして、その時の完走証は大事に取ってある。
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埼玉県(その2):47都道府県の大会

埼玉県のウルトラマラソンと言えば「オクム」
マラソン大会の主催者の一つに「スポーツエイドジャパン」がある。
埼玉県の毛呂山町を拠点に数多くの大会を主催しているが、その中でも特に有名なのがオクムの愛称で親しまれている「奥武蔵ウルトラマラソン」だ。

2014年までは、8月に開催されていたことから、夏のオクムということで名をはせた。

わたしは、毎年8月末に北海道マラソンがあることから、それまでは参加を自重していたのだが、もう北海道でのサブフォーも難しいことから、2012年8月に開催された大会で走ることにした。
真夏のウルトラはなかなかの厳しさで、連続参加とは行かなかったが、2015年から開催が6月になったので、この年以降は毎年参加している。
開催月が8月から6月に代わったのは、台風などの影響回避もあるが、特にこだわったのはカミナリだそうだ。
奥武蔵のグリーンラインの山々を走るので、雷の危険性は非常に高い。

距離は78kmだが、累積標高差は2,000mあるので、なかなか厳しいが、制限時間が比較的緩いので、走ったり歩いたりでも何とかゴールできる。
エイドも充実していて、給食給水には困らない。
体力と気力が続く限り参加したい大会の一つになっている。
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<折り返しの夏姫に会いに参加するランナーも多い>

奥武蔵ウルトラマラソン 2015年 2016年 2017年 2018年

もう一つ書くとすれば、フルマラソンか。
まだ、ブログなんてない時代に、ホームページ「鷲宮弦代JC」を作り、中年ジョガーの完走記を綴っていたことがある。
もうホームページは閉鎖しているが、その記述は残っている、当時から拙い文章だが、懐かしさもあり下に記すことにした。
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2月4日(日)2001年彩の国さいたまマラソン(埼玉県上尾市)

昨年は4時間26分26秒と不本意な結果に終わったこの大会、今回はリベンジと張り切っていたのですが、このコースが中仙道を通るなど主要交通路という事もあるのでしょうがスタートが8時40分と早く、5時半起床と眠いのも手伝って多少だるいような状態でした。
走り始めて状態が良ければ自己ベスト、悪くてもサブフォーとの二段構えの作戦で走り始めました。
最初の5kmは順調な滑り出しでしたが、寒いのも手伝ってかトイレに行ってロスタイムが生じ、この時点で方向修正しサブフォー狙いでハーフを1時間57分で通過する事としました。
その後、高崎線の立体交差、荒川を渡る御成橋を過ぎて二回目のトイレタイム、その後、吉見のイチゴハウスを横に見ながらハーフ通過は予定通り1時間57分5秒とまずまず、すでに足底筋は痛くて悲鳴をあげていましたが、大腿部のケイレンさえなければサブフォー確実と多少スピードアップして、再度、荒井橋で荒川を横断し桜堤通りの28km付近で三回目のトイレ、もうサブフォーにはギリギリの時間しかない状態で最終関門の37.4km地点を通過、高崎線をアンダーパスして中山道に戻り上尾駅前を通り上尾陸上競技場の外周を一周半して競技場内のゴール!
ゴールタイム 3時間56分59秒
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若さだろうか、トイレに3回も行ってサブフォー。
しかも、ハーフ通過が1時間57分でも楽にサブフォーをクリア。
そして、確か、この当時は慢性的に足底筋痛だったことを合わせると、やはり若さなのか・・・。
 
彩の国さいたまマラソン、今のさいたま国際とは違い良い大会でした。
 








埼玉県(その1):47都道府県の大会

実家は神奈川県だが、社会に出てからは転勤と海外赴任を除けば、ずーっと埼玉県に住んでいる。
必然的にマラソン大会の完走は131大会と他の県に比べて圧倒的に多い。

ウルトラマラソンが5大会
フルマラソンが9大会
ハーフマラソンが40大会
10mileが11大会
10kmが34大会
5kmが25大会
その他、トラック、クロカン、トレイル、リレーマラソンなどの大会を完走しているので、埼玉県だけで、一通りの大会は完走したことになる。

PBの大会も、5km、10mile、ハーフマラソンと三つの大会で記録している。
1999年2月 はすだシティマラソン 5km 20分07秒
2000年4月 幸手さくらマラソン 10mile 1時間14分27秒
1999年2月 熊谷さくらマラソン ハーフ 1時間34分28秒

この頃は50代手前で、大した練習もせずに勢いで走っていた。
順位も参加者の1/3位の位置、今では3/4ぐらいの位置だから隔世の感ありだ。

完走した大会は131大会だが、このうち42大会は障がい者伴走で走っている。
ハーフマラソンが3回、10mileが3回、10kmが20回、5kmが9回、3kmが2回になる。
残り5大会は記録を取っていなかったので何キロか、今となっては分からない。

そして、今では消滅してしまった思い出深い大会が幾つもある。
フルマラソンでは、「彩の国さいたまマラソン」を2回走った。
2001年2月の時は、3時間56分59秒で走った。
残念ながら、マラソンブームが来る前に大会はなくなってしまった、現在のさいたま国際マラソンよりも数倍良い大会だったと思う。

ハーフマラソンだと、騎西町(現在の加須市)の「ふじの里マラソン」、用水路沿いを走る地味な大会だが近いということもあり参加しやすかった。

5kmだと、「宮代町新春ロードレース」か、東武動物公園のなかを走る大会で、開園前に参加者と応援の人が同時に入場する分には入園料は無料、開演前の動物舎を見ながらアップできるので、なかなか面白かった。
他に幾つもあるが、割愛する。

やはり、参加した大会が多い分、思い出も多い。
埼玉県は、2回に分けて書くことにしよう。

この写真は、2001年12月の「加須こいのぼりマラソン」ハーフのゴールシーン。
女房と一緒に走りゴール、当時は雑誌ランナーズが毎号、どこかの大会のゴールシーンを掲載していて、たまたま載ってしまった写真だが、やはり思い出深い。
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ランナーズのこの号は取っておくつもりだったのが、いつの間にかなくなってしまった。
おそらく廃品回収に出してしまったのだろう・・・。
 








群馬県:47都道府県の大会

阪神淡路大震災の年、1995年の夏に走り始めて、最初に参加した大会が、10月に行われた「渡良瀬遊水地ゆうゆうマラソン」の5kmになる。
練習では、5分/kmがやっとの走りなのに、23分23秒でゴール、ハアハアゼイゼイのなんと楽しかったことか、今日現在の大会参加数が557大会、その第一歩目のゴールでした。

群馬県での5kmは、この大会を2回走っただけになる。

10kmの大会は、正月の3日に行われていた「藤岡ジョギング」、渡良瀬遊水地に上州のからっ風が吹くなか4回走った。
正月の生ぬるさからの脱却として、手ごろな距離で、手作りな大会でとても良かったのだが、いつの間にか、開催されなくなってしまった。

******以下、今は閉鎖されたHP掲載時の記録です******
2004/1/3 第22回藤岡ジョギング大会(栃木県藤岡町)

3日に藤岡ジョギング大会の10kmの部に参加しました。
ランニングを始めて最初のお正月に走ったのが、八年前のこの大会です、会場は渡良瀬運動公園で主催者が藤岡陸友会という走友会で行われている大会、私が参加した10kmは運動公園内を3周するコースです。
ポカポカ陽気の中、午前10時半に79人(エントリー95人)でスタート、人数が少ない事もありすぐにバラけてしまいほぼ同じ走力のランナーが歩を進めていく、最初の一周目は自重していたが、20mほどの等間隔で前をいくランナーを次々に追いかける、結構きつくなるが、スタート前まで見ていた箱根駅伝を思い出す、フォームがバラバラになりながらも走りぬく強さをお手本に、前を追いかけ抜いていく。二周目三周目とラップを早めることができ、45分24秒でゴール。新年早々上出来のレースでした。
レース後、遊水地に移動し車内でオニギリを食べながら箱根駅伝をTV観戦、5区のタスキ渡しを見てから一周7kmの練習ジョグにスタート、駅伝を見ていた影響からか足が軽い、車に戻って再度TVを見るとちょうどゴールシーン。
これで帰ろうと思ったが、なんだか気をもらい、もう一周してしまいました。
******ここまで******

2008年9月の「お花畑ふれあいマラソン」も10km、大会名のほとんどが地域を示す名になっているなか、この大会は違う、今となっては記憶もなく、いぜん書いたブログで再認識した。

ハーフマラソンは、北軽井沢マラソンが2回、上州太田スバルマラソンは1回だ。

フルマラソンは、2002年と2004年の11月に開催された渡良瀬遊水地マラソンが2回、2002年は一ヶ月後のホノルルマラソン参加に向けて相棒と一緒に参加、女房の初フル完走だった。
フルマラソンはそれに、昨年走った9月の榛名湖マラソンになる、周回のアップダウンはキツカッタが今年も参加だ。
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変わったところでは、安政遠足侍マラソンを、4回走っている。
この大会は、5月の連休明けに行われていて、コースはすべて登りで距離は29km、ほとんどのランナーが仮装して走る、わたしも三度笠の仮装で走った、普通の格好で走るのが恥ずかしいくらいだ。
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群馬県でもエントリーしたが走れなかった大会が二つある。
東日本大震災の年の安政遠足侍マラソンと、昨年の上州太田スバルマラソンは大雨による中止だった。
 




栃木県:47都道府県の大会

阪神淡路大震災があった年のちょうど今頃の季節に走り初めて、早速その秋から参加し始めた大会が、栃木県の「とちぎ太平山・蔵の町マラソン」と「宇都宮マラソン」の5kmだった。
2ヶ月半ほどの練習で参加したのだが、5kmを23分切るぐらいでゴールでき、走る楽しさ、大会に参加する楽しさを実感した。

栃木県の有名なフルマラソンは、今でも制限時間4時間を守り続けている大田原マラソン、6回参加したが、関門に引っかかり2回はDNFだった。
関門は厳しいが、こういう大会があっても良い、ぜひ残して欲しいと思っている。

他には、さのマラソン(参加3回)、日光ハイウェイマラソン(1回)、はが路ふれあいマラソン(4年連続)を走った。
2017年度の年齢別マラソンランキングでは、315位/1,617人だったのだが、タイム4時間15分03秒は、はが路ふれあいマラソンでの記録だった。
この大会のアップダウンを思うと、なぜもっと走り易い大会で良いタイムが出せなかったのかと思う一年だった。
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ハーフマラソンは、鹿沼さつきマラソン(参加2回)、矢板たかはらマラソン(5回)、宇都宮マラソン(1回)、高根沢町元気あっぷハーフマラソン(1回)、渡良遊水地ハーフマラソン(1回)、下野市天平マラソン(6回)、おやま思川ざくらマラソン(2回)になる。
矢板たかはらマラソンでは、インターネットエントリー最速で証を貰って嬉しかった思い出がある。
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ハーフマラソンで、開通前の高速道路を利用した「二度とできない大マラソン大会」があったのだが、開催2日前の東日本大震災によって中止になった。
参加料の返金もできたのだが、義援金として受け取ってもらった大会だ。

10kmは、今市杉並木マラソン(参加8回)、板倉ハートフルマラソン(1回)、うじいえ卯の花マラソン(4回)、塩原温泉湯けむりマラソン(1回)、結城シルクカップロードレース(2回)、おやま思川ざくらマラソン(1回)。
今市杉並木マラソンの参加賞は、干支の絵馬だったので、12回は走ろうと思っていたのだが、9回目の直前に義母が亡くなり、それから参加意欲が湧かなくなってしまった。

ウルトラマラソンは、城内坂ウルトラマラソン70kmを走った、参加賞が益子焼のお皿なのが良かった。
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マラソン大会ではないが、「ジャパンスーパーデュアスロン渡良瀬遊水地大会」では、ラン5km+バイク10km+ラン2kmに参加したことがある。
バイクは、マウンテンバイクだったので抜かれっ放し、でも、ランでは抜きっぱなしという面白い経験をした。

「XTERRAスクランブルレッグ IN MARUNUMA」も思い出深い。
日本百名山の一つ、日光白根山をコースにした、25kmのトレイルの大会で、そのアップダウンと整備されていないコースはとてもキツク、何度も足が攣りかけ、かろうじてゴールできた大会だ。
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全日本山岳スノーシューイング・レース in 日光では、トレイルシューズにスノーシューを履いて、雪面を15kmを登って下って走った。
光徳牧場から山王峠に至る登り坂はとてもキツク、冬なのに大汗をかいた。日光アストリアホテルへ向けての下りはスノーシューが引っ掛からないように大きな動きで、脚を踏みだしたら止まることができず、大腿四頭筋がパンパンになったが、今では良い経験だと思っている。
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栃木県は開催大会の多さと、エントリー費の安さ、我が家からのアクセスの良さで、非常に参加し易いので助かっている。
まだまだ、この県の大会参加は増えるだろう。
 


茨城県:47都道府県の大会

走り始めたのが、1995年の夏が過ぎようかという季節で、それから、走歴1年に満たない翌年の4月に、初めてフルマラソンの大会に出た。
それが、かすみがうらマラソンになる。

秋から春にかけて、ハーフや10㎞など10大会ほど走って臨んだ、4月のかすみがうらマラソン、当然狙うはサブフォーだったが、見事に打ち砕かれてしまった。
暑さと未知の距離で、後半は、ほとんど歩いてしまい、ゴールタイムは4時間40分だった。
しかも、フルマラソンの疲労度が分かっておらず、帰りの車の運転、その当時はマニュアル車だったので非常に難儀したのを思い出す。

一度はフルマラソン完走との想いで参加した大会だったが、歩いてしまっては完走といえないと再チャレンジしたので、この大会で完走していたら、その後のフルマラソン完走136回はなかったかもしれないと思っている。

茨城県は、フルマラソンの大会が五つある、参加した順に回数を列記すると、
かすみがうらマラソン 5回
つくばマラソン 6回
勝田全国マラソン 7回
古河はなももマラソン 1回
水戸黄門漫遊マラソン 1回

このなかで、走り始めて10年ほど、足底筋の痛みから初めてリタイアしたのが、3回目のつくばマラソン、そして昨年は、足が攣り七転八倒した大会と苦い思い出だ。
全国の大会で36回のサブフォーを達成しているが、つくばが3番目に良い記録で、3時間37分52秒なので決して苦手な大会というわけではない。

かすみがうらマラソンは10mileも2回走った。
いずれも視覚障碍者の伴走で走ったのだが、良い経験になった。

ハーフマラソンは、いわい将門ハーフマラソンを4回走っているが、初めて走った時がちょうど、天候不順で葉物が高騰していた時で、参加賞のレタスが家で喜ばれたのをよく覚えている。



福島県:47都道府県の大会

福島県内の大会参加は四つ、2001年2002年と2年連続で走ったのが、東北のボストンマラソンと称されている「東和ロードレース」だ。
ハーフマラソンだが、往路の心臓破りの地獄坂、登りが得意と思っていた自分が叩きのめされた坂だ。
これが復路になると極楽坂になる、この大会で下り方を覚えたような気もする。

そして初めて見たのが、コース上の常設km表示に常設シャワーだ、7月の大会なので、このシャワーを潜り抜けてシャキッとして走りぬくことができた。
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三つ目は、「チャレンジ磐梯吾妻」距離は70km、標高差は1,550mになる。
麓の温泉から吾妻富士(1,705m)の噴火口を1周してスタート地点の温泉まで周回するコースで、有毒ガスが発生する脇や、残雪、水芭蕉など、面白いコースだった。
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四つ目は、3年前の「いわきサンシャインマラソン」フルマラソンになる。
このブログにも書いたが、前夜、走友と二人で焼酎のボトルを1本開けてしまって、二日酔いの状態で走った大会になる。
震災後の大会ということで、沿道の応援は素晴らしかったが、雨も降り寒くて、辛かった記憶しか残っていない。
後にも先にも、二日酔いで走ったのはこの大会だけだ。
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2015-02-08 11.03.16
 
いわきサンシャインマラソンの完走が109回目だったのだが、さすがに悔いが残る、必ずもう一度走ってみたいと思っている。
 




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