気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、還暦を遙かに過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

四面八面記

メレル ベイパーグローブ4

ランナーなら分かるかと思うが、足の着地には「フォアフット走法」、「ミッドフット走法」、「ヒールストライク走法」がある。

わたしの場合、走り始めから暫くは、ヒールストライク走法だった。
走り方の情報も少なかったし、シューズも踵着地を前提としたクッションを売り物にしていた。
それが、アフリカの選手たちの走りによって、少なくとも私の場合はそうなのだが、ミッドフットからフォアフットへの走法が良しと認知されてきたように思う。

ただ、これを実践しようと思うとなかなか難しい。
実際に走ると、ミッドフットを意識しているつもりが、いつの間にか、フォアフットになっている。
すると、未成熟な脹脛やお尻から腰に掛けての部位に違和感を感じ、やがて故障につながる。
実際、何度も故障した。

それではと、以前、ワラーチも試してみた。
良い時もあるが、アッパーがないのは、やはり怖い。

そして、だいぶ前だが、ビブラム ファイブフィンガーズを買って走ったことがある。
結構、装着感が強い。
ただ、汗っかきなので、シューズ内がビショビショになって不快感だけが残る。

そんななか、8月末、走友が履いているシューズを見て、これらな行けるかもと思ったのが、このシューズなのだ。
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メレル ベイパーグローブ4
前足部とかかとの高低差がない、0mmドロップ。
登山靴のアウトソールでも有名なビブラムが、足底を保護する。

このシューズで何度かチャレンジして、何となく感覚で、走り方のコツが少し分かってきたような気がする。
無理するとまだ脹脛に違和感を感じるので、徐々にだが、この走法が身に付けば、再びサブフォーも夢じゃないと思わせるシューズと走法なのだ。

ただ、今の時期、走路にはドングリが落ちている。
これを踏むとメチャクチャ痛いのだ。
 



夕張

一度は訪ねてみたいと思っていた夕張に北海道マラソンの前日に行った。
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なぜ、夕張か?
わたしが子供ころ、父親が長期の出張で仕事をしていたのが夕張で、その当時から夕張の地名は馴染んでいた。
父が、夕張でどのような仕事をしていたかは知らない、聞いておけば良かったと思うが、もう致し方ないことだ。
ただ、勤めが富士電機だったので、重電の施工現場であることは間違いない。

今は閉鎖された夕張炭鉱も重電とは密接な関係があると思うが今となっては分からない。

夕張で最初に訪ねたのは、石炭博物館。
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その歴史と変遷は、なかなか見ごたえがあるものだった。
ただ、今年の春に起こった模擬坑道火災で一部を見ることができなかったのが残念だ。

次に訪ねたのが、「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地、この映画は、婚約時代に二人で観に行った思い出の映画、今でも物干しに黄色いハンカチがあるというので行ってみた。
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次が夕張シューパロダムだ。
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土木設計施工で3次元がどうのこうのと言われ始めたころ、先進的に紹介されていたことを思い出す。
ここもダム管理所資料館が災害の危険性があるということで、今は立ち入り禁止になっていた。

そして帰ってから、こんな本を見つけた。
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「カウントダウン」BOOKデータベースによると、
「北海道夕張市に隣接する幌岡市。五期目の市長、大田原昭夫は、大手炭坑閉山後、リゾート開発に過剰投資し市財を悪化させたが、巧みな借入金処理で市の債務を隠し続けた。財政破綻が白日のもとにさらされ再建団体申請が決まっても、六選を目指す大田原。最年少市議、森下直樹とその仲間・恩師らは、打倒大田原を期し、智恵と情熱を結集して立ち上がった。」と書かれている。

もちろんフィクションだが、夕張の財政破綻をモデルにしているので一気に読んでしまった。
夕張市内をレンタカーで巡ったが、あまり人がいる印象は受けなかった。
ただ、総合運動公園だろうか、若い声が多く聞こえたのが救いだった。



真夏の大菩薩峠ラン

走友が毎年企画し、恒例になっている、大菩薩の湯から上日川峠を経て大菩薩峠まで、およそ往復で22~23km、標高差1,000mほどの坂道ランに今年も参加した。

むかし、大菩薩峠登山競争というのがあり、何回か参加した(第45回大菩薩峠登山競争)のだが、そのうちにこの大会自体が名称を変え、麓を走る大会へと変わっていった。

夏に走る大菩薩峠は、北海道マラソンのための距離走という側面もあるが、高度を上げるごとに苦しくななり、それと同時に気温が下がってくるので、一定のリズムで刻むと走り易くなる。
これを五感で感じることができるので、大会が無くなっても、勝手に走る大菩薩峠ランに毎年参加しているようなものだ。
数えていないが、大会を含めて10回以上は峠に行っているはずだ。

今年は参加者が増え、総勢20名ほどか。
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上日川峠まで、ロード組とトレイル組に分かれて走った。
地元の走友たちと一緒に走り始めたのだが、二人の歩くスピードとわたしの走りがほぼ同じスピードで、がっくりだったが、まあ、得意のどのような勾配でも休まない走りで、何とかカバーした。
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上日川峠では、100円で桃1個頂き水分補給、美味しかった。
しばらく進むと、舗装路から登山道になる、もうここは、一般の登山者もいるので、早や歩き程度だ。

峠は晴れていたが、残念ながら、雲で富士山は臨めなかった。
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ただ、眼下の上日川ダム(大菩薩湖)は見えたので良かった。
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後は下るだけ、途中、転んでしまい、右手親指から血が出たが、ティッシュで傷ぐちを押さえて走った。
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上日川峠で傷口を洗い、バンドエイドで処置、このロスが大きかったか、その後の下りで前に追いつくことができなかった。

大菩薩の湯に浸かり、休み処でビール、つまみはサービスの朝どれキュウリ、味噌につけて何本も食してしまった。
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この休み処、来年は無いそうだ。
良いお店だったのに残念だ・・・。
 




北岳

富士山の次に高い山、北岳に走友たちと登った。
20代の半ばごろに登ったことがあるが、全く記憶にない。

金曜日の夜に新宿からバスに乗り、芦安の手前の仮眠所に着いたのが、12時半過ぎか、座布団を並べて仮眠し、5時に路線バスに乗り広河原に向かった。

広河原のインフォメーションセンターで持参したおにぎりで朝食、トイレは故障していたので、広河原山荘まで行った。
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まだ体がシャッキとしていないからか、いきなりの急坂という感じで歩き始めた。
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パーティの何人かは、自分も含め故障中なので、コースタイム通りなら御の字と標高を上げていった。
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大樺沢二股分岐からは雪渓が見える。
右俣コースを行き小太郎尾根分岐だ、思ったより高山植物は少なく感じた。
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更に30分ほどで今日の泊りの北岳肩ノ小屋に12時過ぎ、5時間ちょっとで着いた。
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空身になり山頂まで往復しても良かったのだが、軽い高山病、頭がもやもやしていたので止めた。
山小屋の寝るスペースは狭い、肩幅に若干の余裕がある程度で、久しぶりの狭さだった。
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寝たのかどうか分からない、頭もすっきりしないが、外へ出てご来光だ。
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無理に朝食を食べて、予定より1時間ほど早く小屋を出た。

北岳山頂の景色は抜群だ、今一な体調も吹っ飛んだ。
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あとは、ひたすら下る。
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八本歯のコルから雪渓の脇を通りながら大樺沢二股分岐。
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当初の予定は、白根御池小屋経由で広河原の予定だったが、疲れがあったので、昨日と同じ大樺沢沿いを下った。

予定より早く着いたので、甲府行き13時のバスにギリギリ座って乗れた。
甲府で温泉銭湯に浸かり、生ビール、実に美味かった。
 

ウルトラトラックモード

5月に買ったGamin フォアアスリート245MUSICのバッテリー持ち時間は、仕様によると、GPSモード+光学式心拍計で、22時間になっている。

一方、先日走った、津軽半島ジャーニーラン177kの目標ゴールタイムは、35時間弱だった。
そこで、予め、95.3km地点の鰊御殿レストステーションにモバイルバッテリーを送っておいて、ここに着いたら直ぐにチャージしようと準備していた。

ただ、このレストステーションまでの目標タイムが、15時間超、うまく走れなかったら、更に時間は掛かる。
仕様では22時間だが、実際は更に短いということは多々あるので、設定で更に節約する方法を探してみた。

一つは、データ記録だ。
データの記録間隔が設定できる。
「スマート」:走行中の速度やデータの変化に応じてデバイスが自動で記録間隔を調整しながらデータを記録する、このモードによりバッテリー消費が抑えられる。
「毎秒」:データを毎秒ごとに記録する、記録したデータの精度は向上するが、バッテリー消費が増えるため長時間のアクティビティには不向き。

このデータ記録は、常時、「スマート」にしている。
直線コースで、ペースタイムが変わらないなと思うこともあるが、そのうちに修正されるので、わたしの速さでは全く問題ない。

もう一つは、GPS受信モード、次の4つの設定があった。
「GPS」:GPSとみちびきのみを受信
「GPS+GLONASS」:GPS、みちびき、GLONASSを受信、測位制度は向上するがバッテリー消費が多と書いてある。
「GPS+GALILEO」:GPS、みちびき、GALILEOを受信、測位制度は向上するがバッテリー消費が多と書いてある。
「UltraTrac」:GPSの受信と各種センサーの取得頻度を低くしてバッテリー消費を抑える。記録されるデータ精度は落ちるが、長時間にわたり稼働させたい場合には便利とあった。

試す時間がなかったが、節約という観点から「ウルトラトラックモード」に設定を変えた。
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結果だが、
鰊御殿レストステーション95.3km地点が、98kmだった。
また、ここからゴールまでが、81.7kmなのだが、86kmという数値を記録した。

やはり、仕様通り、精度はかなり違った。
もちろん、自動ポーズにしていないので、その差もあると思うが、やはりちょっと誤差が大きい。

走っている最中は、距離よりも、地図上の目標までの時間で把握していたので特に問題はなかったが、これだけ距離が違うとは思わなかった。
ちなみに、バッテリー残量は、どちらでも30%ほど残っていたので、効果はあったのだろう。

走る目的や場所によって使い分けが必要だな。

ちなみに、ガーミンコネクトにこんなバッジ、狂気の沙汰とは・・・。
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みちのく津軽ジャーニーラン177k その3

日付が変わって、レストステーションの鰊御殿を後にする。
しばらくは、十三湖からこっちに向かってくるランナーたちとすれ違う、お互いに、おつかれさま~と言いながら交差する。
あとどの位で鰊御殿ですかと聞いてくるものもいる、もう僅かな距離なのだが聞かずにはおれないのだろう。

すれ違いの分岐、ここから東南の方向に行く、次のエイドはまだ遠い、とりあえずの目標は地図上にある道の駅だ。
真っ暗な道を進む、基本的なコース取りは、歩道が最優先、歩道がなければ路側帯が広いほう、それも無ければ、右側走行だが、あまり片側によっても深夜だと怖い。
道の駅では思った通り、何人か休んでいたが、そのまま通り過ぎる。

霧雨だろうか、さすがに眠くなってきた。
3年前と同じ公園で休むことにする、ここはトイレや駐車場もあるが、周りの景色は暗くわからない。
ベンチで横になる、時刻を確認して目を閉じた。
寝たのかどうか分からないが、目が覚めた、10分ほど過ぎたようなので、トイレをすまし、再び走り始めた。
徐々に空が明るくなってきた。

263㎞のランナーたちとの合流地点を過ぎ、更に行くと集落がある。
115㎞辺りか、再び眠くなってきたので、スクールバスの待合室に入り、横になった。
また、10分ほどで目覚めたが、今度はスッキリした感じがした。
夜明けの岩木山が右手に姿を現した。
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中泊町の総合文化センターエイド(118.5km地点)にやっと着いた、5時25分だった。
温かいコーヒーを頂き、20分ほど休憩して次の太宰治の生家「斜陽館」に向かう。

この間の7.8kmは、なぜか快調だった・・・、と言っても振り返ると10分/km程度なのだ。
コース上の津軽半島は、ため池が多い、ここでもゴミ出しや散歩の人たちに挨拶しながら走った。

斜陽館の前にある金木町観光物産館エイド(126.3km)に着いたのが、7時5分だった。
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五所川原のバイパスを行く、広々として気持ちが良い、ここまで来ると定期的にコンビニがあるので給水の心配はなくなる。
晴れて、右手には今日も岩木山が堂々と姿を見せる。

道の駅つるた(145.6km地点)11時丁度、スポーツプラザ藤崎(156.4㎞地点)が13時22分。
この間にも私設エイドがあり、ご夫婦から、少し濃いめのツユのソーメンを頂いた、ビックリするくらい冷たく美味しかった。
昨日お会いしたご夫婦からは、やはり冷たい飲み物を頂いた、ホント感謝だ。

黒石駅前多目的広場エイド(165km地点)に15時38分。
ここで名物の黒石ツユ焼きそばが美味しくて2杯頂いた。
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こみせ通りを通り、次の田舎館役場前(171.4km地点)へ、もうここまで来れば安心だ。

田んぼアートで有名な田舎館役場に着いたのが、16時47分。

そして、弘前市内にあるゴールのさくらの百貨店、17時55分34秒でゴール。
動いていた時間は、34時間55分34秒、さすがに達成感ありだ。
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階上にある温泉施設で汗を流し、宿泊先のホテルに移動、チェックインしたら、ベッドに倒れこんだ。
目が覚めたら、もう夕食の時間を過ぎており、コンビニで冷やし中華にビール。
食べながら飲んで、2缶目を開けずにまた寝てしまった。

翌朝は、4時に目覚め、温泉につかりながら岩木山をながめ、洗濯をした。
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みちのく津軽ジャーニーラン177k その2

路上の気温計は28℃の表示だから、路面は30℃を超えているのだろう。

鯵ヶ沢の海の手前の橋を左折すると、コンビニがあった。
もう少しで、エイドだが、立ち寄り、ペットボトルとクーリッシュを買い歩いた。
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鯵ヶ沢の駅前を通過し、日本海拠点館のエイド(49.3km地点)に14時54分に着く、稲荷ずしを頂く、美味しい。

鯵ヶ沢を通過するのは三回目だが、とても美しい海だ、相変わらず、「わさお」のお店は観光客で賑わっている、今回は寄らずにそのまま走っていく。

前を行くランナーが見えなくなってきた。
単調な道が辛いが、その先にはコンビニがるので、ひたすら我慢して脚を進めた。

コンビニの前では、数名のランナーが休憩をとっていたが、飲料とサンドイッチを手にそのまま行く、クーリッシュは、あまりに暑いので、キャップのなかに入れ頭を冷やした。

何人かに抜かれるが我慢してマイペースで行く、亀ヶ岡遺跡のエイド(67.4km地点)、18時13分だ。
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蕎麦を2杯頂く、徐々に固形物を受け入れなくなってきている。
さて、次のエイドの鰊御殿までは、27.9kmある、右手に広大な十三湖があるのだが、もう暗くて見えない。
街灯など一切にない真っ暗闇の道を進む、ヘッドランプで少し遠方を照らし、手持ちの懐中電灯で直前を灯す、背中には点滅灯で危険防止は万全だ。
女子ランナーは、なるべく男子ランナーと一緒に走って欲しいと主催者が言っていたが、分からなくもない。

風も強くなってきて、キャップが飛ばされないように手で押さえながら前に進む。

鰊御殿(95.3km地点)に着いたのが、23時8分。
机上の予定より、50分ほど遅い。
岳温泉、日本海拠点館にいたボランティアのT.Mさんが、ここにもいてビックリ。
お勧めのリンゴカレーを頂き、とても美味しかった。
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モバイルバッテリーでガーミンウォッチとスマホの充電をしながら、顔を洗い、インナーからウェアまですべて着替えた。
既にあっちこっちにガタが来ているので、スムーズにいかないが、慌てると攣ったりするので慎重に行動した。
特に休んだ感じはしないが、1時間ほど経っていた、何人ものランナーが寝ていたが、当初から、ここを0時にはスタートすると決めていたので、10分ほど遅れたが、ボランティアの方々に挨拶してリスタートした。

(続く)

みちのく津軽ジャーニーラン177k その1

今年で3回目の参加。
毎回、コースと距離が変わるが、今回走ったのは177km。
日曜日の朝7時、弘前駅近くの公園をスタートし、弘前城を巡り、先ずは岩木山の麓にある岳温泉を目指した。
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弘前市内

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弘前城

早朝から気温は高めで、用心しなけりゃと思っていたのだが、岩木山神社まで、給水も塩熱サプリも補給しなかった。
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リンゴ畑と岩木山

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岩木山神社

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小さいながらリンゴ

その付けが、最初のエイド岳温泉を過ぎた直後に訪れた。
どうも脹脛が攣り気味だな、用心しなけりゃと思った瞬間、左脚が攣った。
後から来るランナー達に声を掛けられるが、なかなか大丈夫だとは言えない。
横になったらと言われるが、横になったら、他の部位が攣るのは経験済みなので、ひたすら、同じ姿勢で時を待つ。
暫くすると緩和してきたので、姿勢をちょっと変えたら、今度は右脚が攣った。
筋肉がひっくり返るんじゃないかと思うほどだが、暫くすると緩和した。
違和感があるままだが足を進めた、正直、ここでリタイアかと思った。

そこに、後から来たランナーからどうしましたか?の声。
攣ってしまいましたと言ったら、攣り防止だと言って、薬をくれました。
飲んで暫くしたら、楽になったし、基本下り基調なので脚を進めることができた。

ただ、この間の距離27.1kmはコンビニなし、自販機も期待できない魔のコース。

つぶれた酒屋の自販機でファンタがあったので一気飲み、この後はどうするか、非常用の経口補水液は最後の手段と悶々と走っていたら、私設エイドがあった、氷入りのコーラを頂き復活、埼玉県の参加者多いねと言われた。

さらに、暫く行くと、また別の私設エイド、ありがたい、ここでもコーラを頂いた。
そして、鯵ヶ沢の街並みに入る手前で、自宅から出てきたご老人から氷入りの水を頂いた。
春日部に長く住んでいたそうで、ご主人のお墓がこっちなので移り住んだと・・・、こんな会話が、ジャーニーランの良いところだ。

この間、エイドが無かったら、完走は難しかったと思う、ホント感謝だ。
だからこそ、自分ができることを何処かの大会でしなければと改めて思った。
(続く)

みちのく津軽ジャーニーラン177kの準備

来週の14日(日)7時にスタートする、みちのく津軽ジャーニーラン177k、その準備を始めた。
まずは、目標タイムの設定だ。

2016年に参加した第一回の大会の距離は200kmで、今年の大会より長いが、難所のクロモリ館と小泊津軽の像まで行かなくて良いので23kmほど短くなている。

完走率59.69%のなかゴールしたのだから、今年の方が楽だと思う反面、確実に3歳は歳を取っているし、何より、梨状筋の痛みが出てきたら怖い。

往路は一昨年リタイアした250kmと同じなので、過去2回の履歴を参考にしてエイドステーションでの休憩を含んだペースで目標設定タイムを決めた。

それがこれだ!
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岳温泉までは、信号待ちもあり、弘前城を過ぎてからは緩やかな上りの連続になるので、8分~10分/kmの設定だ。
岳温泉から日本海拠点館までは下り基調ながら、エイド間距離が27.1kmと長く、あえて脚を休めながらの9分/kmで走ることにする。

亀ヶ岡遺跡へ至る途中にコンビニがあり、過去2回とも食べたい飲みたい給食給水をしたので、休憩を含めて10分/kmとした。
鰊御殿までの27.9kmは長く、夜も遅くなり、疲労と眠気で時々、正気をなくすので、ここも10分/kmとした。

予定通りなら、22時15分に着くことになる。
200kmの時は、設定タイムより大幅に遅れたので仮眠が出来なくて、夜明けにかけてとても辛かったので、今年は、ここで大休止、とにかく、0時までは寝れなくても休みたいと思っている。

夜が明ければ、あとは眠気と暑さとの戦いになる。
粘るのは、自分の真骨頂だと思っているので、とにかく休まずに歩く&走るで、12分~14分/kmだ。
そして、目標のゴールは、15日(月)17時46分着、34時間46分の予定だ。

いつも超長距離の大会では、このように目標タイムを設定するが、上手くいったことはあまりない。
体調と気候に大きく左右されるからだ。
それでも、毎回、こんなものを作る、スタートラインに立って、ゴールをイメージしたいからだ。
一昨年は豪雨だった、さて、今年はどんなドラマが待っているのか?

そして、今年も、3年前と同じ、こんな風にゴールしたいと思っている。
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駅伝のチカラ!

久喜市で活動している「市民ランナーの聖地化Pr」とその大阪の会員であるYさんが取り持って、大阪の「千里ランランクラブ」との大阪交流駅伝が開催された。
久喜からは15名のランナーが参加、地元を含めて9チームで競い合った。
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わたしは、オジンチーム、還暦過ぎの5人のチームになった。
一人が、1.4kmを3周受け持つ、1周ごとにタスキをつなぐコースだ。
1週間前に奥武蔵ウルトラマラソン78kmを走ったので、速く走るフォームが回復しておらず、また疲れもあり、ゆっくりと走って楽しむつもりだった。

ところが、第一走となり、よーいドン。
さすがに若手はさぁーっと行ってしまったが、ほぼ同世代と思われる地元ランナーと暫く並走した。
ただ、徐々においていかれると、気持ちに火がついてしまった。
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最近トライしている、母指球を意識して、ほんの少し、がに股気味に脚を伸ばすと、思うようにスピードが出てきた。
あっという間、ハァハァゼィゼィとなったが、4分28秒/kmで次走にタスキをつなげた。
2周目は、後ろから来たランナーに抜かれ、しばらく離されないように背中を追い、ラストのカーブで抜いた、4分25秒/kmだった。
そして、3周目のタスキ、前後にランナーがいなくなり、競う相手がいない、4分39秒/kmだった。
このタイムの遅さは、やはり競う相手がいるかどうかだろう、改めて、そして久しぶりに駅伝のチカラを感じた走りになった。
 




横須賀・三浦みちくさウルトラマラソン

この大会名になってから3回目、三浦海岸スタートの大会を含めると、これが4回目のスポーツボランティア、最後尾を走るスィーパーをした。
過去2回は単独だったが、今年は、昨年と同様に旧知の女性ランナーMmさんと若手タフガイM君の3人で、8時のBスタートの最後尾に着いた。
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2人の若手がいたので、男女別のトイレチェックも怠りなく行えたと思う。
一昨年、一人で走った時には、最後尾だと思っていても、いつの間にか、更に後ろにランナーが走っているということが良くあった。
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エイドの燈明堂辺りから、明らかに遅れだすランナーたちがいる。
スィーパー3人で、前後を行き来しながら、久里浜に入った。
神明公園のエイドで、休んでいると、障がい者伴走の二人が来た、さて、どこで見過ごしたか、全く分からない。
ここから、野比海岸を経て、三浦海岸、剱崎の手前まで、同行することになったのだが、目と耳に障がいがある盲ろう者と伴走者もろう者だった。
2人とも音は聞こえないので、後ろに付いて話しかけても伝わらない。
三浦海岸から先は、歩道も狭く、横並びで走るのは危ない、前に出て、強引に引っ張ったり、押し込んだりするしか手がない。
何度も伴走をしたことがある、意志は通じていたのだが、今回ばかりは自分の力のなさを痛感した。

結局、剱崎手前のコンビニで、伴走者が手をクロスし、ここで止める意思表示をした。
ちょうど、リタイア回収車がいたので、良かった。

先に行くスィーパー二人を追いかけ、剱崎からは視覚障がい者伴走の後ろに付いた。
気温が上がったため、伴走者の方がバテていた。
さかんに、障がい者の方に申し訳ないと言っていて、改めてその難しさを感じた。
以前、風車があった宮川公園を目指すが、昨年とコースが変わっていて、けっこう難儀した。
その途中で、この二人もリタイアした。

城ケ島の関門時間が過ぎたので、直接、三崎に向かった。
Mmさんと三崎エイドで、最終ランナーたちを待つ、そしてゴール目指して走り始めた。
歩いたら間に合わないが、みんな、坂道でも走る。
ゴール関門時間が迫るなか歩いていたら、走る意思なしと収容車に乗せられるのは昨年経験した。
だから、みんなには、とにかく腕振りをして、ゴールを目指す意気込みを見せなきゃダメと伝えた。

最終エイドの引橋から、付いた女性ランナーは、途中で、ご主人と抱っこされた赤ちゃんに声援されていたので、なんとしてもゴールテープを切って欲しかった。
ギリギリ彼女が諦めないぐらいのスピードでわたしが前を走る、もうダメと言いながら付いてくる。
最後、ソレイユの坂の登りで、あと2分でゴール閉鎖のアナウンス、走りは変わらなく、もうダメかと思ったが、ラスト30秒のアナウンスで俄然スピードアップした。
関門の19時を数秒過ぎたが、主催者が、この方までゴールと認めますとアナウンスされ、こっちまでメチャクチャ嬉しかった。
スィーパーは、ゴール手前で終えるので、その後の彼女との接点は一切ない、ホント一期一会の出来事だった。

あ~、ダメと言われるまで、また、スィーパーをやりたいと思っている。
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鯖街道ウルトラマラソン(鞍馬で関門アウト)

初参加の鯖街道ウルトラマラソン、アップダウン(高度上昇2,599m 高度下降2,382m)にやられて、残念ながら59km地点の鞍馬で関門アウトでした。
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ただ、走ってみて、色々と発見もあったので、完走記にならないが、リベンジの時の為に記す。

マラソンシーズンがひと段落して、長距離の大会、ウルトラマラソンの季節になった。
今までの5月なら萩往還だったが、昨年の大会を最後に開催が無くなった。
昨年の萩往還70km、復路でしばらく並走した女性ランナーさんに聞いたのが、この鯖街道ウルトラマラソンだった。
距離は、萩往還と同程度だが、三か所の峠越えが厳しいという。
それでも、萩往還道、雁坂の道のように昔ながらの歴史を感じる街道を走る楽しみがあると思った。

福井県の小浜で獲れた鯖や海産物を京都に運び、文化交流の道にもなった鯖街道、その距離は72km。

朝4時過ぎに起き、準備をしてホテルを出たのが5時20分ころ、歩いて10分ほどで集合場所の「小浜市まちの駅」に着いた。
スタート地点までのバス移動は、6時からだったが、既に出発しているので、早めにバスに乗った。
スタートは、「箸匠せいわ」の駐車場、建物のなかで休めて、2回目の朝食をとった。
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スタートは、マラソンの持ちタイムが速い順でのウェーブスタート、わたしは、3番目の4時間のところに並んだ。
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走り始めて、トイレに行っていないのに気づき、3km過ぎ、鵜の瀬あたりのトイレに入った。
事前の設定タイムは、エイドなどを含んで、7分30秒/kmなので、このタイムで刻んだ。
最初のエイド下根来(5km地点)、GPS計測で4.4km、高度上昇105m、設定タイムより少しだが速い、ここの壁が有名なようで、写真を撮ってもらった。
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ここまで、点在する集落、あるいは元集落だったようなところに、戦没者慰霊碑というのか、石碑がポツンポツンと立っている、その文字を見ると、三等兵とか二等兵とか伍長とか書かれている。
わずか数軒の集落で男手がいなくなる、きっと厳しかったろうにと勝手に思いながら走った。
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次が上根来エイド(10km)、GPS計測9.9km、高度上昇333m高度下降110m、設定タイム13分/kmを8分47秒と上々だった。
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更に進んで、いよいよトレイル区間、なんとなくだが、トレイルといっても林道みたいなイメージをもっていたので面食らった。
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完全に登山道、しかも、追い抜きも出来ない一本道だった。
2019-05-19 08.41.15

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ここからは先はたいへん苦しんだので、写真は撮れず、頭も朦朧と走っていたので、あとで、じっくり思い出しながら続きを書くとする。
 




鯖街道ウルトラマラソン、前日

初参加の鯖街道ウルトラマラソン、新幹線で東京から米原、乗り換えて、特急しらさぎで敦賀、そして各駅停車で1時間超、12時ちょっと前に小浜駅に着いた。
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大会受付は15時からなので、駅隣接の観光案内所で地図をもらい、鯖街道の起点を目指した。
途中、いろいろなマンホールのデザインが面白い。
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そして鯖街道の起点。
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やはり、昼食は鯖尽くしだろう。1件目はパスして2件目で当たり、本日2本目のビール、初めての大会参加で緊張しているのか、酔わない。
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食後は、旧街並みを散策して、八幡神社にお参り。
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そして、15時ちょうどに受付、1番目でナンバーをゲット!
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いったんホテルの戻り、汗を流し、明日の準備を終えて、近場の散策。
杉田玄白は小浜だったのか!
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そして夕食は回転ずし、酒は地酒の一本義、これで明日のカーボローディングは万全だ。
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さて、明日は5時半集合、7時スタートだ、何としても完走したい。
 




enjoy_running

先日、FBで、走友から「enjoy_running」で久しぶりに駅伝でもという投稿があったので、このランニンググループについて書いてみることにする。

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  (TさんデザインのチームロゴTシャツ)

わたしが、走り始めたのは、阪神淡路大震災があった1995年の夏でした。
周りに走っている人などおらず、一人で練習し、一人で大会に参加していました。
走り始めて3年ほどが過ぎ、東京・荒川市民マラソンで初めてサブフォーして、当時4時間制限の北海道マラソンのエントリーの資格を得ました。
1999年夏、初めての北海道マラソンを一人で行って完走、これが、のちの、今でも支えてもらっている走友たちとの出会いの切っ掛けになったのです。

その秋、CALS/EC、土木情報の進展のなか、他のグループで研究活動していた方が、同じ北海道マラソンを走ったと、共通の知人から紹介してもらい、直後の大会、手賀沼ハーフマラソンで会う約束をしました。
その手賀沼のゴール後に会ったのが、今では20年のお付き合いとなった走友Tさんです。

Tさんがリードして、走る仲間として結成されたのが「Team enjoy_running」です。
実際にグループで練習するのはせいぜい年に数回しかないのですが、大会で会ったり、会社帰りの飲み会では頻繁に会ったりとしていました。

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(東日本国際親善マラソンにチーム参加)

そんなグループにも掟らしきものがあって、
・飲みに誘われたら断らない。
・けして群れない。
・誰もが練習会や飲み会の幹事をすること。
・この会は、一つのテーブルで一つの話題を共有できる人数にする。
・メンバーの誰か欠員が生じたときのみ新たにメンバーを加わえることができる。
・年功序列、若手は飲み会の議事録を速記してMLに報告する。

当時は、ML(メーリングリスト)の全盛で、大会の感想など日に何十通もお互いに情報交換した。
Teamの会長Yさんからは、仕事してくださいよと言われるぐらいメンバーの交流は頻繁だった。

わたしが50歳になった記念に四万十川ウルトラマラソンに出たいと言ったときは、4人の方が、わたしが完走できるようブースターになってやると、一緒に参加してくれた、良い思い出だ。
20011021simannto
         (沈下橋)

会長のYさんの還暦祝いのホノルルマラソンにも駆け付けた。
カピオラニ公園四
  (ランナーズの下条編集長と一緒に)

この「Team enjoy_running」で知り合った走友たちの話しと振る舞いがあったからこそ、今のわたしがあると思っている。
すべてを肯定するするわけではないが、あぁなりたい、あぁなってはいけない、と知らず知らずのうちに教わった。
「Team enjoy_running」の仲間は、教師であり、反面教師でもあった。
Yさんの後にわたしが会長になったが、権限は、乾杯の音頭だけと、これがまた良い。

今でこそ、一堂に会すのは数年に1回になってしまったが、個別、少人数で会うのは今でも変わらない。

書いていて思う、そうか、ちょうど今年の秋が20年か!
久々に一つのテーブルを囲んでみたいと思う。
 

あなたの名前のサイン 火星におくりませんか?

室内のリフォームをしていて、部屋の片隅に埋もれていたものが次々に出てくる。
そんな一つが、20年ほど前のこの新聞の切り抜きだ。
「あなたの名前のサイン 火星におくりませんか?」
2019-03-13 14.01.32

日本初の火星探査機「のぞみ(PLANET-B)」は、1998年7月4日に内之浦の鹿児島宇宙空間観測所(現在のJAXA内之浦宇宙空間観測所)から打ち上げられたが、その際に募集されたのが、この記事にあるような、名前を火星に届けるというものだった。

我が家でも、家族5人の名前を書いて応募した。
最終的には、270,694人の名前がアルミ板20枚に焼き付けられ、のぞみに搭載されたという。

火星に届いたかどうか、心待ちにしながらもいつの間にか忘れてしまい長い年月が経ってしまった。
この記事を見つけて早速ネット検索したところ、火星まではたどり着くことが出来なかったようだ。

大規模な太陽フレアに遭遇した後、搭載機器の損傷により制御ができず、何度も試みたようだが残念ながら、2003年12月9日、火星周回軌道への投入を断念した。

今は、ほぼ火星の軌道に近い太陽を中心とする軌道上を永久に飛び続ける人工惑星となったと記されていた。
名前が火星には行けなかったのは残念だが、永遠に太陽を回っているというのも良いではないか、ロマンを感じる。
そして何より、のぞみの様々なアクシデントや制御が、その後の「はやぶさ」に行かされているというのが嬉しい。

火星探査機「のぞみ」

ようこそ PLANET-B 『のぞみ』 の世界へ
 



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