気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、古希を過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

ボランティア

三浦半島MIdNight70km みちくさウルトラマラソン

開催日の当日は、母親の病院付き添いのため横須賀にいたことから、三浦半島MIdNight70km みちくさウルトラマラソンのスポーツボランティアをすることにした。

ランナーは汐入駅近くのヴェルニー公園を18時にスタート。
わたしは、コース上およそ29㎞地点の三浦海岸のエイドステーションでボランティアすることになった。
70㎞走ったゴールも同じ三浦海岸なので、ボランティア活動は長時間に渡ることになった。

三浦海岸に20時集合、既にエイド主催のTご夫妻がテンと設営を終えていた。
わたしを誘って頂いた走友Kさんも既に準備を始めていた。
基本的にはTさんご夫妻が調理したものをKさんと二人でランナーに提供するスタイルだ。
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21時を過ぎてから、トップ集団のランナーたちがエイドに来始めたが、後続は続いては来なかった。
浦賀の花火大会を時間が重なったため走りにくかったようだ。
22時前後から続々とランナーがエイドに寄ってくる、さつま揚げとこんにゃくの煮物、フルーツなどが人気だった。
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23時半ごろには最後尾のランナーも行ってしまい、あとはゴール後のランナーたちのエイド準備となるが、しばらくは来ないことから、アルコールを飲みながらの休憩となった。
それでも途中リタイアしたランナーが時々だがエイドに寄ってくれる。

そうこうするうちに、ゴールしたランナーたちもエイドに寄って来るようになった。
カレースープが人気だ。
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お腹を空かしたランナーは、カレースープにチャーハンを入れて食べていた。
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朝日が昇り始めた。
ゴール給水は、ペットボトルかビールを選べる、ひとりの女子ランナーはビール片手に朝日が昇るのをずーっと見ていた、格好良かったな。
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そして、餃子や焼き肉はあっという間になくなってしまった。
水ようかんも人気だ。
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ゴール関門が、6時15分。
最後の後片付けは、Tご夫妻がやるというので、7時過ぎには解散した。

徹夜は久しぶり、ボランティアも久しぶり、心地よい倦怠感が残った。







川内杯栗橋関所マラソン

年内最後の大会参加は、川内杯栗橋関所マラソンの10㎞です。
今年で3回目の開催ですが、過去の2回はボランティアとして参加、受付誘導などを行っていました。
そして今年は、ボランティアとランナーの二刀流にしました。

会場に7時前に着き、すぐに設営準備、設営を終えるころにはもう早いランナーたちが続々と来場してきます。
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大会は回を重ねるごとに運営改善が図られていますが、小さな不備はあるもので、なかなか難しい。

レースは、新型コロナウイルス対策として、女子と男子のスタートを2時間ずらし、しかも男女それぞれが目標タイム順のウェーブスタート、女子が9時20分からで男子は11時からでした。

女子がスタートして落ち着いてから、走るため着替えて軽くアップしました。
今回は久々にプチ仮装でフグの被り物で走ります。
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11時過ぎに目標タイム55分のブロックでスタート、利根川の河川敷、強い向かい風のなかを上流に向けて走りました。
6分/㎞オーバーで折り返したら、シューズの紐がほどけて、結ぶ直し、これでさらにタイムが落ちたので追い風をバックに頑張りました。
結果、55分05秒
男子の部 571位  60歳以上の部 71位 でした。

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川内杯栗橋関所マラソンのボランティア

伴走以外のボランティアは久しぶり、川内杯栗橋関所マラソン(10km、2km)の受付とゴール給水ボトル渡しのボランティアをした。

走友の車に乗せてもらい、6時40分ごろ会場に到着した。
早速、受付体制のセッティングを行い、準備ができたので開始前だったが受付を始めた。
わたしは女子の10km担当だったので、それほど混雑することなく対応できたが、男子は時々列が長くなることがあった。
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陽射しがあり風もないが、やはり素手では寒い、チェックシートの紙をうまくめくれないこともあった。

心がけたのは、挨拶とゼッケンや参加賞を手渡した後の声掛けだ。
無口なわたしとしては、1週間分ぐらい口を開いたかもしれない・・・。

9時30分、小学生の部2kmがスタートしたら、受付人員を減らした。
ギリギリまで10kmランナーを受け付ける、スタート15分前を過ぎても来る方がいるのには驚いた。
わたしには、とても真似は出来ない。

10時、10kmのスタートを見送ったら、ゴール後のペットボトル渡しと記録証配布の動線確保だ。
ゴール地点と記録証配布の位置が近すぎて、なかなか厳しい。
そうこうするうちに、30分ほどで先頭ランナーがゴールした、あまりの速さにビックリだ。

途中で表彰式も始まったので、少しづつ動線をずらしてペットボトル渡しの対応をした。
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最終ランナーがゴールしたら、撤収だ。
会場では、川内優輝さんとのじゃんけん大会が盛り上がっていたが、みんなで手際よく片づけができたと思う。

参加ランナー1,000人ちょっとのローカルな第1回大会。
川内杯とうたっている通り、川内一家のおもてなしが、ランナーにとって大好評だった。

今まで、都市マラソンの受付を何回もしたが、この大会の受付もなかなかボランティアのし甲斐があって楽しかった。
もちろん、いろいろな改善点があるのは分かっている。
その改善が成っているか確かめるために、来年も走らずに、この大会のボランティアをしたいと思っている。
 

横須賀・三浦みちくさウルトラマラソン

2014年にこの大会の前身である、三浦半島みちくさウルトラマラソン60kmを走って、その後は、ランナーの最後尾を走る見守り隊として今年が3回目の参加になる。
会場は、昨年の横須賀・三浦みちくさウルトラマラソンと同様、京急汐入駅近くのヴェルニー公園だ。

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100kmは5時にスタート、65kmはAナンバーが8時スタートで、Bナンバーが9時スタートになる。
昨年は、65kmの全てのランナーの最後尾に付いて走ったのだが、今年は、Aナンバーの後ろを見守ることになった。
ランナーとして、走友2名が100km、7人が65kmを走る。
そして、見守り隊として初参加の女子が一緒に走ってくれるので、女子トイレのチェックなど、男子のみでは厳しい環境に対応してもらう。
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8時にAナンバーがスタート。
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ところが、なかなかスタートしないランナーが何名かいる。
Bスタートの仲間と一緒に走りたいので9時に出るという、記録計測できないので、スタートラインを通過してもらって、その場で1時間待って貰うことにした。
まさに、スタート時から、大会名の通り、みちくさだ。

最初のエイドは、ポートマーケット、スタートして僅か1.7km地点だ。
ここには、地元の走友たちが手伝ってエイドをしている、しばし言葉を交わして先に進んんだ。

コース上は観光地が多いので、公衆トイレも多い、一つ一つ、ランナーがいないか確認しながら足を進める。
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観音崎(9.7km地点)で、1時間遅れのBナンバーのランナーたちが駆け抜けていった。

見守り隊は、関門がある三浦海岸で止めるという人には気を付けてと言って先に行く。
故障や疲労でゴールを諦める人には、最寄りの駅や、駅までの路線バスのバス停を教える。
地元を知っているからこその見守り隊なのだ。
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三崎港(51.8km)のエイドは設営時間を過ぎていたがまだやっていた、ありがたい。
残念ながら、好物の団子はなかったが、代わりにお赤飯があり、塩っけがあってとても美味しかった。

登坂を進むと、疲労困憊の様子で歩いていた最後尾のランナーに追いついた。
しばし、会話をしながら足を進めていたら、私に向かって、あなた、パソコンの、顔がそうだ!何回も記事を見ましたと言う。
そう、このブログの読者、読んでくれている人と出会う、嬉しかった。

引橋エイド(58.2km)は既に閉鎖されていた。
そして、信号を渡り、暫くしたら、マイクロバスが待っていた。
もはやここまで、ゴール関門まで残り45分ほど、距離は6km程度か、今の歩みでは到達できないので致し方ない、最後尾ランナーと一緒にバスに乗った。

ゴール地点のソレイユの丘でマグロの漬け丼だったが遅すぎてなくなっていた。
そして、風呂に入ろうと思ったが、女子は空いているのに男子は長蛇の列、あきらめて、トイレで着替え、走友たちが打上げ中の久里浜のカレー屋に向かった。

この大会、ゴール関門が緩いと評判の大会だったが、参加者も多くなり、ゴール関門を意識しないランナーも増えていて、流石にいつまでも待つわけにはいかない。
3回目の見守り隊で、初めてゴールまで到達できなかったが致し方ない。


更に、この大会はエイドも楽しみ、その一端です。
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三浦海岸のエイド

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三浦海岸のたまご掛けご飯

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剱崎のごま豆腐

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観音崎、美味しかった~。
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燈明堂の稲荷ずし

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三崎、ここの団子、絶品です。

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最後は、残念ながら食べれなかった漬け丼。

横須賀・三浦みちくさウルトラマラソン

昨年までの三浦半島みちくさウルトラマラソンがリニューアル、スタート会場が汐入駅近くのヴェルニー公園でゴールがソレイユの丘という、横須賀・三浦みちくさウルトラマラソンを走った。
走ったと言っても、選手としてではなく、スイーパーというボランティアで走った。
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100kmと65kmの部門があるが、65kmの部で、Aナンバーが8時スタート、Bナンバーが9時スタート、ゴール関門は19時となっている。
つまり、制限時間はAナンバー1が1時間、Bナンバーは10時間だ。
エントリーは、Aの方がだいぶ早く定員に達したようだ。
9時にヴェルニー公園をスタート、もちろん最後の選手がスタートラインを通過してから走り始めた。
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この段階で、スイーパーは3名。
二人の方には、ひとり前を走るランナーに付いてもらった。
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最初のエイドがポートマーケット、ここで既知の地元ランナー2名が更に加わり5名体制になった。
馬堀海岸辺りでわたしより後からランナー来る、聞くとトイレに入っていたそうだ、そうか、これは気を付けなければならないと思った。
前にだいぶ遅れる女性ランナー、でも、エイドでは休まないので、違うランナーが最後尾なる、だが、それも暫くすると抜かされ、その女性が最後尾なる。
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観音崎エイドで更に二人の女性スイーパーが加わった。
合計7名のスイーパーだ。
基本的にわたしが最後尾、地元ランナー二人がさらに後ろをトイレのチェックなどしながら走り、残る4人は手分けして数人前を走るランナーに付いた。

最後尾は次々に代わる。
若い男性ランナー二人が、歩いていた。
甘く見てました~と言いながら、歩いたり走ったり・・・。
結局彼らは三浦海岸を過ぎたあたりでリタイア、路上で収容車を待ってもらうことになった。

浦賀駅の手前あたりで、1時間前スタートのAナンバーの女性が歩いていた。
体調が今一つなようで厳しい表情だったが、燈明堂エイドでリタイアだ。

久里浜に入る手前で、ご夫婦ランナーが歩いていた。
ご主人は昨年完走していて、奥さんは25kmでリタイアしたから、今年の目標は夫婦で中間エイドの32km地点、ここで止めますと言われた。
しばらく付いていったが、花の国でだいぶ休んでいるし、この辺りのことは知っているとのことで、前を行くランナーを追いかけた。
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若い男性ランナーが足を引きずりながら坂を上っていた。
膝が痛むとのこと、花の国エイドで休み、リタイアするとのことで更に先に進んだ。

火力発電所あたりで、同年代の女性ランナーが歩いていた、シューズが当たり足が痛くて歩くのも辛いという。
気晴らしに色々な話をして、野比エイドから三浦海岸エイドまでお付き合い、ここでリタイアした。

城ケ島エイドでリタイアが3人だ。

三崎エイドでは、あとから来るランナーは一人だと思っていたのに数人が走ってきた。
スイーパー3人も一緒なので一安心した。

三崎エイドからゴールまで、一人の同年代ランナーに付いた。
関門時間が過ぎ、スタッフがいなくなっても、とにかくゴールしたいという。
歩き、走り、歩き、暗くなってランプで足元を照らし、色々な話をしながら前に進んだ。
もうゴールの関門時間も過ぎている、収容車が来たら乗らなければならない。

ソレイユの丘の看板が見えてきた。
走り出す、100kmのランナーを追い越した。
最後の坂、ここまで来れば収容車も来ないだろう。
もう一人を抜いたところで、先に行ってもらった。
やがて、撤収作業中のなかゴール、三崎から一緒だった方からお礼の言葉、とても一人ではたどり着けなかったと、わたし自信も感謝、一期一会の良い時間を過ごせた。

あとで聞いたら、私たちを収容車に乗せようにも定員まで乗っていてこれ以上乗せることができなかったので素通りしたとのことでした、ラッキー!

この大会のテーマ曲「ランソン」なんか良いリズムだったな~!

白岡新春マラソン

久喜市の隣り町、白岡市の大会、白岡新春マラソンを走りました。
大会参加は15回目ですが、最近の9回はいずれも障がい者伴走、今年の伴走は久喜けいわのFさんと5kmでした。
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スタートは、9時50分。
陽射しがあるものの風があり、気温は低く寒かったです。
Fさん、あまり体調が良くないようで、1kmほど走ったら歩きが入り始めてしまいましたが、それでも、なんとか走り抜きゴール。
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その後、10km参加の走友たちの応援をして帰路につきました。
 

加須こいのぼりマラソン

この大会は、今年が11回目の参加で、障がい者伴走はそのうち9回目になる。
今日のパートナーは、Fさん、たぶん初めて組む相手だった。
スタート時、少し風はあったが晴天のなか、5kmの部は9時25分に走りはじめた。
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発達障がいの方との初めての伴走では、どのような状況の時に気持ちよく走ってくれるか探るところから始める。
わたしが少し前に出てリードした方が良い場合もあれば、先に進まれるとやる気をなくすタイプの方もいる。
並行して、話しながら走れれば良いが、今回のように狭い道路で折り返しのコースだと、同走するランナーの邪魔になってしまうこともある。
今日のFさんは、模索した結果、わたしが後方から話しかけながら走り、止まりかけると、軽く背中を押すと、ずっと走ってくれることが分かった。
前半は走ったり歩いたりだったが、折り返してからは、走る距離が伸びて気持ちよくゴールできたと思う。

久喜けいわの障がい者伴走を始めてから15年ほどになる。
始めたころは、フルマラソンやハーフマラソンが多かったが、障がい者の方も歳を重ね、おそらく練習もままならないのだろう、走る距離は短くなり、タイムも遅くなってきている。
でも、彼らにとっては、ストレスの発散、気分転換にはもってこいのようだ、職員の方々は若い人が多く大変だと思うがぜひサポートを続けて欲しいと思っている。

走り終えて帰宅途中、昼時だったので、加須名物のうどん、カレーうどんを食べた、美味しかった~。
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蓮田マラソン

地域のスポーツボランティアをやって、もう10年になる。
マラソンシーズンインとなる今日は、久喜けいわのK君と蓮田マラソン10kmを走った。
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地域密着型の大会で、けして速さを求めるようなコースではない。
10kmなのにエイドは2ヵ所ある、一つ目で、シュークリームとエクレアにキャラメルを頂く、二つ目ではプリンを頂いてしまった。
そう寒くないなか、K君とゆっくりと走ることができた。
このぐらいの速さだと臀部の痛みはないな、一安心だ。


受付ボランティア

さいたま国際マラソンのスポーツボランティア、前日受付をしてきました。
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早朝、さいたま新都心駅に集合し、ボランティア受付をしたのちに会場のアリーナに入りました。
そこで、作業の簡単な説明を聞いて、まずパンフレットなので封入作業を行い、時間になってからは選手受付を始めました。
わたしは、明日走るので、14時までの作業でしたが、選手に比べてボランティアの人数が多く、たいへん暇でした。
これが初めてのスポーツボランティアという人は、面白くもなんとも感じなかったのではないかと心配なぐらいです。
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また、スタッフとの連携も上手とは言えませんでした。
運営を任されている会社とその下請け?みたいな人たちがいて、ボランティアへの指示が非常に曖昧で経験値が足りないと思いました。
なにより、この大会を選手と一緒に盛り上げましょうという発想はなく、言葉も乱雑で、まるで業務のアルバイトを指示する感じで不愉快さを感じました。

まあ、来年はもうやりたくないな。

 

ボランティア説明会

11月15日(日)に開催される、さいたま国際マラソンのボランティアに登録していたが、その説明会が 与野本町コミュニティセンターで開催された。
16時受付の部に参加し説明を受けた。
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説明といっても詳細については当日ということで、東京マラソンや湘南国際マラソンの時のような具体的な説明はなく、当日勝負的な感じがぬぐえないが、さいたまでの初開催と、これもまた致し方ないことなのか・・・。

担当する活動は前日受付で、8時から14時までが活動時間だ。
次の日は、自分自身も走るので、終日のボランティア活動は控えることにした。

柴又100kの私設エイド

昨年に続き、42km地点で私設エイドに行ってきました。
あっという間に氷とコーラは無くなってしまいましたが、ランナーの生き返ったとの声には、また、来年もやるぞという気持ちになります。
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白岡新春マラソン

我が家の隣町、白岡市の大会、白岡新春マラソンを走りました。
大会参加は13回目ですが、最近の7回はいずれも障がい者伴走、今年の伴走は久しぶりの5kmでした。
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この大会も例年、雪や強風だったりでしたが、今年は、若干風はあるものの快晴で良い天気でした。
コース上からは、富士山も大きく見えました。
今までとスタート地点が変わり、コースも変わっていましたが、見慣れた風景なので特に違和感はなかったです。
障がい者の方は、ほとんど練習していないのでしょう、時々歩きが入りましたが、40分程度でゴール、よく頑張ったと思います。

ゴール後は、10kmを走った走友たちと合流し東大宮まで移動して、餃子の満州で反省会でした。


 

加須こいのぼりマラソンの伴走

 この大会は10回目の参加ですが、ランナーとして最初に2回走ってからは、残りの8回は全て障がい者伴走での参加です。

今年は、Kさんの伴走で5kmを走りましたが、久喜けいわの障がい者伴走を始めてから、今シーズンで10年目 、スポーツボランティアのシーズンインの季節となりました。

伴走は、視覚障がい者の方の伴走を含め、この加須こいのぼりマラソンで、41回目。
自分の走る大会との兼ね合いでしか参加していませんが、それが無理せず、我慢せずで継続できているのかもしれません。

 これからの伴走は次の三つの大会に参加予定です。

1月 白岡町新春マラソン
3月 藍のまち羽生さわやかマラソン
4月 行田市鉄剣マラソン

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柴又100kの私設エイド

車で20分ほど、柴又100kのエイドをしに行ってきました。

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場所は、往路51km、復路が58kmほどの地点です。

速いランナーのエイドをしても仕方ないので、13時半過ぎに行きました。

ほぼ真上の太陽はギラギラとし、河川敷なので樹木の日陰は全くなし。

最初に持ち込んだのが、コーラ2リットルが3本に氷2kgが3袋、それに紙コップが60本にビニール袋、〆て1500円ほどでした。

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さっそく始めましたが、冷たいコーラあるよ!っと呼ぶと、走るというよりは歩きのランナーが一口含んで「ありがとう」「生き返った」という声を聞き嬉しくなってしまいました。

次から次に来てくれて、あっという間にコーラは無くなってしまいました。

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次にビニール袋に氷を二三個入れて渡しました、これも喜んでもらいましたが、氷が無くなってしまいそうなので、ここからは氷一個一個渡すようにしました。

途中、近くでランナーが倒れて、コースアルバイトの方から、氷を分けてもらえますかと言われ、もちろん喜んでビニール袋に数個入れて渡しました。

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あのランナーは無事だったのだろうか?

すべて無くなったが、まだランナーが来るので、急いで近くのコンビニに氷を買いに行き、戻ったら、すでに数人のランナーしかいませんでした。

そこで、さらに下流に行き、杉戸あたりで、氷を渡すことにしました。

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この辺りだと、80km関門ギリギリなのか、あっという間にランナーがいなくなると同じぐらいで4kgの氷も無くなりました。

わたしウルトラは嫌いじゃないですが、こんな過酷な大会は遠慮したいです。

参加されたランナーのみなさん、お疲れ様でした。

湘南国際マラソンのボランティア

11月3日(土)文化の日に開催された、湘南国際マラソンにスポーツボランティアとして参加した。
朝が早いので、平塚のホテルで前泊し、当日は6時に出発、茅ヶ崎サザン本部が設置される茅ヶ崎球場の駐車場に6時半前には着いた。
私の役割は、往路の第3給水(10.8km地点)と復路の第8給水(26.7km地点)を含むエリアのサブブロック長だ。
大きく二つ、給水チームとコース上誘導チームがあり、それぞれにチーフがいて、さらに細分化され、コース上誘導チームは4つに分かれリーダーがいる。
給水チームもチーフのもと、5班に分かれそれぞれに班リーダーがいる。
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他に救護所が設置され、医師とコーディネーターに一般ボランティアがいる。
ようは、組織化されたチームによって運営されるわけで、突発的な何かが起こらない限り、サブブロック長は雑用係のようなもので、いかに、チーフやリーダーがチームをまとめ易く動けるかを考えて行動すれば良いのだ。

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簡単にチーフ以上のミーティングを終えると、リーダーが集まりだし、一般ボランティアの受付を始める。
8時からの受付だが、だいたい8時前には受付を終えることが出来た。

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第3給水は、備品テントから、給水テーブルや水・スポーツドリンク・給食などを台車に積み、所定の位置に配置していく。
台車が4台しかないので、取り合いになるが、やがて収まる。

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ここ第3給水所の難点は、歩道と車道の間にフェンスがあることで、自由に行き来できないのが辛いところだ。
9時にフルマラソンがスタートしたが、コップに水やスポーツドリンクを注いでいく作業を延々と続ける。
あらかた良しとした頃、9時30分過ぎには、トップランナーが通過していった。
さすがに速い、後続が続かないので、ボランティア皆が拍手で見送った。

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やがて、ランナーたちが来始めた。
この時間に通過するランナーは、レーズンや飴などの給食は取らない。
平塚方面を見ると道路一面のランナーたちが見える、彼らが通過するときに給水が不足しないようボランティアの人たちも頑張っている。

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ランナーたちのマナーは良い。
ボランティアの人たちに「ありがとう」の声を掛けてくれたりする。
もちろん、ボランティアの人たちも、作業をしながら、「頑張って」「楽しんで」など応援していた。
第3給水所が第一関門となっており、閉鎖時間は10時56分だ。

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関門をギリギリ通過するランナーたちには、大きな拍手がおこる。
関門に未だ届かないランナーたちには、早くと大きな声援がおきた。

関門時間が過ぎたら、直ぐに撤収作業だ。
交通規制が解除されるので、まず車道の方を先に片付ける。
大量のコップが残ったが、それはある意味、ランナーたちに不便を掛けなかったということで良いのだが、片づけが大変だ。
重いテーブルをたたみ、台車に載せて元あった場所まで移動するが、最後のテーブルは交通規制が解除となったので、歩道側に移動し、歩道上で撤収を行った。
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撤収を終えた第3給水の各班は、終了ミーティングをして解散となった。
復路の第8給水所では、日差しが強くなり気温も上がってきたので、水が不足するといけないと、第3給水の余った水を台車に積み、持って行くことにした。
ランナーが走っているのでコースを横断することはできない。
海へ行く地下道を横断して持って行くが、重たくて腕が棒のようになった。
それでも給水は足りたので良かった。
第8給水所の先に柳島第3関門(28.3km地点)があり、13時17分に閉鎖された。
まだまだ歩いたり走ったりというランナーはいる。
このようなランナーたちを歩道に上げなければいけない。
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撤収も始まっている。
テントや給水テーブル、ゴミの回収など積み込むと、こちらも交通規制が解除された。

朝6時半から14時ぐらいか、濃密な時間が過ぎた。
ここ茅ヶ崎サザン本部のエリアでは事故もなく終えることができて良かった。

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