気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、古希を過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

走ることについて語るときにクマの語ること

走ることについて語るときにクマの語ること

「走ることについて語るときにクマの語ること」のカテゴリーへの書き込みは、7年ぶりになるか、新型コロナウィルスによる緊急事態宣言のさなか、思ったことを書いてみる。

ちなみに、このカテゴリーは、ご存知のように、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を模範したものだ、そして、クマとは、学生時代のわたしのあだ名だ。

今現在、わたしがエントリーしたマラソン大会の中止または延期になった大会は12大会になる。

2011年3月の東北地方太平洋沖地震の際にもマラソン大会の中止は相次いだ。
わたしがエントリーしていた大会だけでも6大会が中止になったが、その後、5月末には各地でマラソン大会が実施された。
さすがに東北地方での開催はないが、それ以外では各地で開催されていった。
復興支援、絆、元気になろうとの思いが多かった。

今回のマラソン大会中止の主な理由は、ご存知のように感染防止だ。
ランナー視点では、参加者が少ないローカルな大会あるいはトレイル大会なら感染リスクは少ないと思いがちだが、大会運営には地元の方々のボランティア活動が欠かせない。
受付、走路、エイドなど様々な場面で地元の方々にお世話になっている。

たとえ少人数のランナーであっても各地から来る、多少体調が悪いからといって棄権してくれればよいが、無理して走る輩は意外に多い。
お前が云うなと言われるかもしれないが、大会参加者のマナーは以前より確実に悪くなっていると思う。
自分は感染覚悟で走るなどと言われたら目も当てられない、どうしたらうつさないかが重要なのだ。

こうなると、必然的に大会の開催は中止せざるを得ないことになってしまう。

東北地方太平洋沖地震後の大会開催は、人と人との絆だったのが、今回は人と触れ合ってはいけないと正反対なことが起きているので、これからの大会の開催判断はより一層難しくなっていくと思う。

さて、わたしは大会が大好き人間だと思っていたのだが、実は走ること自体がやはり好きなんだと改めて気づいた。
大会があれば、それに向けて練習をする。
練習内容は必然的にスタミナ強化の距離走や速さを求めるスピード走、そして筋肉の超回復や疲労抜きジョグと組み合わせる。
これは、やらなければならないと少なからずストレスに感じることがある。

ところが今、大会が無いおかげで、ある意味、自由に走っている。
速く走りたいときは速く走り、長く走りたいときには遠くへ行く、走っているうちに寄り道をしたりすると新たな発見があったりで、それは面白い。
そして休みたいときは休む。

幸い、近くに幾つかの河川と用水路があるので、その側道は人も少なく走り易い。
もちろん、散歩の人たちが皆無という訳ではないので、マスクは必須だ、今のお気に入りはバフだ、少なくてもわたしの飛沫はこれでかなり抑えられていると思う。

緊急事態宣言が終わり、新型コロナウィルスが収束をむかえ、マラソン大会が普通に開催されるようになるのだろうか?

東北地方太平洋沖地震の数年あと、いわきサンシャインマラソンを走ったことがある。
その時、沿道の地元の方たちの応援、「来てくれてありがとう」の多くの声が忘れられない、そんな声を再び聞くことができるのだろうか。

まあ、いつか開催される大会に思いをはせ、今日も走る。
 
DSC_4350
    練習コースの一つ:北側用水路 
 








走っている時は何を考えているの?

一回目の東京マラソンが開催されたのが2007年2月になる。
おそらくこの年を起点としてマラソンブームといわれるものが始まり、そのブームが終焉することなく、今も大きなうねりとなって続いている。
それでも走っていない人は大勢いるわけで、わたしが18年に渡り走り続けていくなかで、様々な人から何度となく聞かれたことがある。
それは「走っていて何が楽しいの?走っている時は何を考えているの?」

特に答えを求めていない人には、面倒くさいので、何も考えていません、ということにしている。
それでもさらに聞いてきたら、私にとって走るのは呼吸をするのと同じ、あなたねぇ、息をする時にいつも楽しいなって思ってますか、何を考えていますって?仕事のこととか家庭のこととか日本国家のこととか考えることもあるでしょう、でもね、何も考えていない時も多々ありますよ。
私にとっては走ることは呼吸することと同じなんですから。
だから、どうしても走る時間が確保できないと呼吸困難に陥るように体が変調をきたします。
怒りっぽくなるし、理路整然とした思考が出来なくなります。
それでも義務みたいに走っているわけじゃないですよ、だって誰も義務で息はしていませんからね。
そう、だから、ぜひ、わたしに走る時間をくださいね、とお茶を濁すことにしている。

実際、前述したようなことを考えることは多々あるが、おそらく最も多くの時間は、足をここに置いて良いのか?蹴りだしはどうだったか?重心バランスは?腕ふりは?一歩一歩踏み出すたびに考えている自分がいる。
ここがランニングが考えるスポーツと云われる所以だと思う。

ちなみに、走る距離もよく聞かれる。
平日の夜は近くの公園を6kmほど、土日などレースがないときには10~20kmほど走っていると答える。
ふだん、走っていない人は、びっくりする距離かもしれないが、けしてそんなに長い距離ではない。
そしてこう言う「10kmも走るんですか、スゴイ!私なんか歩いても真似出来ません!」
おいおい比較になっていないよ。
わたしだって真似できません、10kmも歩くなんて考えられない、わたしだって苦痛です。
だから、走るほうがはるかに楽なんです、そして楽しいんですよ。

初めての大会参加

「走ることについて語るときにクマの語ること」その4

継続して走り始めてから、走り方の参考にとランニング雑誌を買った。
今でも販売している「ランナーズ」と、今はない「シティランナー」という雑誌を見つけ、その両方を買った。

 
足腰の故障を避けるためには、走り方や標準的なペース、そして体重などによってランニングシューズを選ばなければならないと知り、耳学問ながら自分に合っていると思われるシューズを買った。

 
それらの雑誌には、マラソン大会の開催案内も載っていた。
自宅に近いところで、一度は大会に出てみようと、申し込んだのが、1995年10月22日開催の「渡良瀬遊水池ゆうゆうマラソン」の5kmの部だった。
会場でのナンバー引換やTシャツにナンバーを留める作業すら新鮮だった。そしてスタート時の緊張感がなんとも言えない。
タイムは23分23秒と公園での練習よりも良いタイムで走り切ることができ、広々とした場所で青空のもと、何とも言い難い満足感を得た。
次は一般道を走ってみたいと、このあと立て続けに大会に参加するのだが、いずれも距離は5kmまでだった。
 

大会の参加申し込みは、今ではインターネットで簡単にできるが、当時は、大会事務局に返信用の封筒に切手を貼って郵送し、参加申込書を入手し、その申込書にある専用の郵便振込用紙に必要事項を記入して郵便局で参加費を払うという、非常に手間がかかった。
それを思うと隔世の感がある。

そして、5kmのタイムが23分23秒だが、このタイムでは今でも走れるので、いかに走り方がお粗末だったか、ランニングという技術を持ち合わせていなかった、ただ爽快感を求めて走っていた時代ということだ。

 

なぜ走り始めたのか

「走ることについて語るときにクマの語ること」その3

1995年は、1月に阪神淡路大震災があり3月に地下鉄サリン事件があった年になる。

そんな大変な1995年の夏にわたしは走り始めた。

 

きっかけは幾つかある。

一つは運動不足と食べ過ぎで体重が増え続けて、自分で適正体重であろうと思っていた、65kgをはるかに超えて73kg程まで達した。

さすがに自分が重たいもんだから駅での階段の上り下りなどは息苦しくなったりしていたということがある。

そして、夏休みに家族旅行で京都に行くことになった。

子供は、長女、長男、次女と三人で、その当時で、長女でもまだ中学生だった。

彼らの旅行の際の小遣いとして、女房が提案したのが、自宅の隣の公園、沼井公園というのだが、その公園の遊歩道600mを周回したら、その度ごとに旅行のお小遣いを上げるというものだった。

小遣いとは無縁だが、わたしも一緒になって、この沼井公園をゆっくりと歩く様な感じで走り始めた。それでも夏の暑さもあり、13周が限度だったと思う。

タレントの間寛平がマラソンを走るのは以前から知っていた。ただ、走る姿を見たことはなかった。

京都旅行の際に、たまたまテレビで観たのが、阪神淡路大震災の被災者の一人として24時間テレビで、神戸から東京までの600kmを走っている姿だった。

この時、自分も公園などでなく普通の道路を、流れる景色のなかを走ってみたいと思った。

 

京都旅行から帰って、子供達はもう走らなくなったが、わたしは、会社から帰ってから夜遅くに公園を走り始めた。

600mの周回を5周程度から、長い時には5km程度まで走れるようになってきた。

今までさしたる運動をしてきた訳ではないので、走るたびに体重が減っていった。季節は夏から秋へと向かっているので、気候的な走りやすさも加わっていたと思う。

ストレスの解消にもなり、体重が減り、季節が感じられる爽快感が何ともいえなかった。

 

 

コストパフォーマンス

「走ることについて語るときにクマの語ること」その2

今日は、いきなり下世話なのだが、お金について、そうコストパフォーマンスについて書いてみる。

 

日本ではマラソンというと、お馴染みの距離42.195kmのマラソンはもちろんのこと5km10kmあるいはハーフマラソンのレースでもマラソンと呼んでいる。

そのなかで、特に42.195kmの距離をフルマラソン、これ以上の距離をウルトラマラソンと呼ぶ人が多い。

 

そんなあらゆる距離をひっくるめて、わたしが16年間に渡り、参加したことがある大会は、360大会ほどになる。単純に割り算をしてみても、一年に2223大会ということになる。

そのうちフルマラソンは、78回の参加を数えている。もちろんスタートラインに立ち、走り始めたがゴールまで辿り着けなかった、完走できなかった大会や、障害者の伴走では大会参加費を払わず(免除される)に参加してきた大会も含んでいる。

あと、僅かであるが、トライアスロン、デュアスロン、アクアスロン、それに山岳マラソンにも参加したことがある。超長距離のウルトラマラソンでは、制限時間48時間で距離250kmという大会に出たこともある。

 

360回の大会参加と書いたが、大会参加費がたとえば3,000円とすると、全部で1,080,000円になる。

4,000円だと1,440,000円だ。もちろん3,000円以下の大会もあるが、高いものは30,000円という大会もある。

ここ最近のランニングブームの発火点といわれる東京マラソンの参加費は、10,000円だ。

これらの費用が高いか安いかは、そもそも走り終えたあとの充実感によるところが大きいので一概には言えない。3,000円で高いと思ったこともあるし、30,000円で安いと思ったこともある。

かかる費用は、大会参加費のほかに大会に参加するために移動する交通費や、日々の練習でも履くシューズやランニングウェアなど、その購入費を加えたら、さらに大きくアップする。

うーん、これ以上は計算しないことにしよう。

 

ところで、大会参加のエントリーをする際に、コストパフォーマンスを考えることがある。

多くの大会では、エントリーする際に距離(コース)を選ぶことができる。

たとえば、ハーフマラソン(21.0975km)で3.500円、10km3,000円の参加費だったりする。

するとどうなるか、キロ当たり単価をだしてみる。ハーフマラソンは165.9/kmで、10km300/kmになる。

同じ交通費を支払って会場まで行くなら、これはもうハーフマラソンの選択しかない訳です。

わたしの場合、5km10kmの記録が欲しい場合には、もちろん、これらの距離を選択するが、そうでなければ、できるだけ長くて、しかも安い、コストパフォーマンスの高い距離というのが一番の選択だと思っている。

先月は、同じ交通費を使うならと、土曜日に上越市で行われた「えちご・くびき野」で50km走り、翌日の新潟シティマラソンでフルマラソンを走った。

とても得した気分だ。

 

長い距離はそれなりに大変なこともあるが、何よりもそれだけ周りの風景に接していられる。季節を感じ、沿道の方々との接点ができる、そして、何よりも走るのが好きだからなのかもしれない。

 

 

走ることについて語るときにクマの語ること

201011月初旬、ひと月ほど前までは、まだ夏を思わせる陽気だったのだが、さすがに木々も色づき、朝晩は冷え込むこともある。朝、駅に向かう人、深夜になって家に帰る人たちはコートを着ている、そんな季節になってきた。

運動をしても大した汗をかくでもなく、寒くもない、まさにマラソンシーズン真っ盛りの季節となってきた。

 

ちょうど今、読んでいる本がある。

風呂に入りながらと寝る前に読んでいるのが、浅田次郎著「勇気凛凛ルリの色」シリーズ、通勤時に新聞のほかにゆっくりと繰り返し読んでいるのが、村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」になる。

 

それぞれの内容については、ネットで書評などを見てもらえれば良いのだが、わたしとしては内容もさることながら、自分自身の今までの経験や考え方を文字に表すというところに共感を覚えた。わたしなら何が書けるかと自問したら、やはり、それは「走る」ということでしょうという声が聞こえてきたような気がした。だから、ランニングライフについて書いてみようという気になっている。

 

なぜ走り始めたのか、なんでこんなに走るという一見、退屈そうなことが続いているのか、そんなことを書いてみたいと思っている。

どこまで書けるか、いつまで続くかは分からないが、わたしも今ではアラカン、そう来年の8月で還暦になる。

電子出版が急速に進んでいるので、早晩、自費出版の電子版ができるものと思う、たぶん紙ベースの本よりはだいぶ安いはずだ。還暦になった暁にはこれらをまとめて配信できれば望外の喜びだと思っている。

 

 ひとまず、次の次ぐらいまでは書くつもりなのだ。

本のタイトル?それはやはり村上春樹さんのタイトルをそのまま頂き「走ることについて語るときにクマの語ること」になるでしょうね。

 

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