気楽に行こうよ ♪

「中年ジョガーの四方山記」、「鷲宮弦代JC」と綴ってきたブログ、またお引越し、古希を過ぎ、一生懸命というほどの根性もなく、なるがままに・・・。

フルマラソン完走100回の道

フルマラソン完走100回の道 その1

2013年12月の青島太平洋マラソンでフルマラソン完走100回になりました。

                                                                                             
  大会名  
  北海道マラソン  13
  東京・荒川市民マラソン  10
  長野マラソン    9
  館山若潮マラソン    5
  奥武蔵グリーンライン・チャレンジ42.195km
  勝田全国マラソン
  東京マラソン
  NAHAマラソン    4
  大田原マラソン
  つくばマラソン
  かすみがうらマラソン    3
  新潟マラソン    2
  青島太平洋マラソン
  彩の国さいたまマラソン
  渡良瀬遊水地マラソン
  佐倉朝日マラソン
  さのマラソン
  洞爺湖マラソン
  奈良マラソン
  岩手北上マラソン
  しまだ大井川マラソン    1
  河口湖日刊スポーツマラソン
  大阪マラソン
  おきなわマラソン
  熊本城マラソン
  ゴールドコーストマラソン
  田沢湖マラソン
  トレイルフルマラソン・チャンピオンシップin宮沢湖
  弘前・白神アップルマラソン
  福知山マラソン
  袋井クラウンメロンマラソン大会
  別海町パイロットマラソン
  防府読売マラソン
  JAL千歳国際マラソン
  JALホノルルマラソン
  計 100

フルマラソン完走100回の道 その2

Facebookに既に掲載したのだが、履歴としてこちらにも書くことにしました。

 マラソンと言っても日本では、5kmも10kmも含んでしまうので、オリンピックや世界陸上のマラソンの距離42.195kmをあえてフルマラソンと呼んでいます。
その42.195kmの距離、フルマラソンで、リタイアせずにゴールを切った大会が、12月8日(日)開催の青島太平洋マラソンで100回となりました。
1995年の秋、44歳で走り始め、翌年の1996年4月、まだ走歴半年で茨城県土浦のかすみがうらマラソンに出たのが1回目の完走でした。
その時は、とにかく記念に一回だけフルマラソンということで走ったのですが、30km手前から歩きが入ってしまい、ゴールは、4時間40分06秒でした。
タイムはともかく走り切れずに歩いてしまうということで、これでは完走じゃなくて完歩だと、この1回で終えては悔しいという気持ちがわいてきました。
100回を数える今では、調子が今一つですと歩いてしまうことが良くありますが、この時は結構、突っ張っていたのかもしれません。
自分でも、まさかフルマラソンを100回も走ることになろうとは思いもしませんでした。
あちらこちらの大会に参加すると、お年を召したランナーのTシャツに「フル100回楽走会」のロゴを見たことがあると思います。
このロゴを見て、他人事のように凄いな~と思ってはいましたが、まさか自分がと今でも思うのです。

写真は、初めての北海道マラソン、1999年47歳の時。
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参加には4時間以内の完走証が必要な大会で、春の荒川でサブフォーできたので直ぐに申し込み、案内書に同じメーカーロゴのランシャツランパンと書いてあったので初めてこの手の格好で走りました。
ゴール間近の見苦しい走りですが、北海道はこのあと15年にわたり参加しています。

フルマラソン完走100回の道 その3

 サブフォーは、市民ランナーの一つの目標タイムだと思います。
100回完走のうちサブフォーでゴールしたのは35回になります。
また、その目標タイム4時間が、制限時間と言う大会が幾つかあります。
100回完走のなかでは、北海道マラソンで8回の完走をしています。
栃木県の大田原マラソンは今でも制限時間4時間ですが、この大会では99回目の完走を含む4回の完走になります。
新潟マラソンも4時間のときがありましたが、この時は関門に引っ掛かり収容バスに乗りました。
先日、川内選手が2週間で連続サブテンした山口県の防府読売マラソンは一度しか出ていませんが、関門時間内にゴールしました。
4時間という制限がある大会は、途中の関門も厳しいものがあり、一つ先の関門目指して走り、そこをクリアする喜びもまたあるのです。

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4時間制限の大会にはエリートランナーも参加します。
特に以前の北海道マラソンンは、夏の世界陸上の選考レースということもあり多くの名選手と同じコースを走りました。
写真の3枚は、北海道マラソン大会後のパーティで、その時の優勝者たちと、あとの一枚は防府マラソンの前夜祭でマーラさんとのツーショットです。

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フルマラソン完走100回の道 その4

 実は、フルマラソンのスタートラインに立った回数は106回になります。
関門に引っかかったり、体調不良だったり、足裏や膝を故障してしまったりして、ゴールまで至らずにリタイアしたのが6回あるのです。
そして、スタートラインにも立てなかったのがただ一度あります、それが、震災直後の2011年4月、開催を中止した長野マラソンです。
100回の完走を振り返るとき、必ず思い出す大会となってしまいました。

 確かに100回ゴールテープを切りましたが、参加費を払ってナンバーを胸に付けてゴールしたのは97回です。
あとの3回は、2006年~2008年の東京・荒川市民マラソンで、障がい者伴走で胸に「伴走」のゼッケンを貼り、障がい者と共にゴールしたのです。
100回完走のなかに大会主催者などのオフィシャルな記録として、この大会では私の名前もタイムも載っていません。
それでも、自分の気持ちとしてはこの伴走の3回を含めて100回という数字を大事にしたいと思っています。

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写真は、フルマラソンとして2回目に参加した、1996年12月のNAHAマラソンの時のものです。今からみると、何ともゆるいスタイルだしファームだと改めて思うのです。

フルマラソン完走100回の道 その5

100回完走の大会数としては36大会になります。
開催地としては、22都道府県に海外がホノルルとゴールドコーストの2ヵ所です。
ハーフマラソンや10kmなどの大会参加を入れればかなりの都道府県の大会に参加しているのですが、フルマラソンに限ると、まだ全都道府県の半分にも満たないのです。
これは、フルマラソンの開催が少ないかあるいはまったくない県があること、開催があっても限られたマラソンシーズンということから幾つもの大会日程がダブってしまってエントリーできない、そして最大の理由は公共交通機関が少なく交通費が割高になってしまうなどの事情もあります。
100回のなかで、最もゴールした回数が多い大会は、北海道マラソンになります。
15回の参加で13回の完走です。
北海道マラソンは、2008年までは4時間制限でしたが、2回のリタイアはこの時期のものです。

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写真は2008年7月のゴールドコーストマラソンの時のものです。ボランティアの方に撮ってもらおうとカメラを渡したら、後ろのランナーがすーっと寄ってきて記念の一枚となりました。
ゴールドコーストは南半球ということで暑くなく走るには丁度良い気候、時差も少ないので海外マラソンの手始めとしては良い大会だと思います。

フルマラソン完走100回の道 その6

 ベストタイムは、52歳の時の2004年3月の東京・荒川市民マラソンで記録した、3時間34分50秒です。
当時、この年代のボストンマラソンの参加標準記録が3時間35分だったので、ラストは必死になって走ったのを覚えています。
結局、その翌年のボストンマラソンツアーの手付金までは払ったのですが、仕事の都合で参加は見送りました。

逆にワーストタイムはと言うと、55歳の時の2007年2月に第一回が開催された東京マラソンで記録した、6時間29分29秒になります。
夫婦で抽選に当たり、女房が膝を痛めたので、ずーっと一緒に走りそして歩きゴールしました。
この時の大会前日は、やはり夫婦でそれぞれ別のスポーツボランティア、わたしはナンバー引換のリーダーをしました。
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また、マラソン当日は旅がらす三度笠の仮装をして走ったので、沿道の応援がすごく、そしてスタート前もゴール後も多くのメディアから取材を受けたのを良く覚えています。

フルマラソン完走100回の道 その7

 走り始めてから18年間でフルマラソン完走100回、単純に割り算をすると年に平均5.6回となります。
ただ、走歴が浅いころはランニング雑誌に書かれている実業団選手と同じように年に1~2回の参加だと鵜呑みにしていました。
しかし限られたマラソンシーズンのなか、年に1~2回では、なかなか興味があるあっちこっちの大会に参加できませんでした。
だから、もっと自由に大会参加しようと、この十年(2004年~2013年)で見ると70回の完走になっています。
平均で年に7回の完走ですから、これは自分でも少し多いのかもしれないと思わない訳ではないのですが、楽しいし疲労も残る訳ではないしと今に至っています。
なお、一年で最も多いフルマラソンの完走は、2006年と2013年の9回の完走になります。

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  写真は、一年間で9回参加した2006年の大会のなかの一つで、4月の長野マラソンの時のものです。
この大会は長女の初フルマラソンで、大した練習もしていないのに40km過ぎで、お父さ~んと声を掛けられ簡単に抜かれてしまった思い出があります。

フルマラソン完走100回の道 その8

 フルマラソンを走るのは、年に2回程度と思っていた走り始めのころから、今では走りたい大会があれば何時でも走るに変わってきています。

100回の完走大会のなかには、ひと月に3回の完走と言うのが2度あります。
2004年11月の、渡良瀬遊水地マラソン、大田原マラソン、つくばマラソンです。

いずれもサブフォーで、大田原マラソンの5日後のつくばマラソンでは、大田原のタイムを17分ほど更新する3時間37分52秒でゴールしました。
53歳と疲れを知らない時期だったのかもしれません。

 2011年11月は、別海町パイロットマラソン、奥武蔵グリーンライン・チャレンジ42.195km、袋井クラウンメロンマラソンになりますが、こちらはいずれもサブフォー成らずでした。

2010年10月の新潟マラソンでは、前日のえちごくびき野マラソンで50kmを走り、その翌日に5時間制限のギリギリでゴールしました、しかも三度笠の仮装姿でした。
2010年と2011年8月は、土曜日にニトリーファミリーマラソン10kmを走り、翌日の日曜日に北海道マラソンを走りましたが、暑さもあり完走するのがやっとでした。

 2012年11月の福知山マラソンと大阪マラソンは中一日おくだけの厳しいものでしたが完走できました。

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99回目の完走は写真の大田原マラソン、翌日には、よこすかシーサイドマラソンのハーフを走りました。

逆の日程では厳しいですが、翌日が半分の距離なので何とかなりました。

フルマラソン完走150回の道 その1

フルマラソンの初参加は、1996年4月に開催された「かすみがうらマラソン」になる。
そして、100回目の完走は、2013年12月の「青島太平洋マラソン」なので、17年8ヶ月掛かったことになる。
年に5~6回のフルマラソン完走ペースだ。
その時の思いは、フルマラソン完走100回の道に書いた。

そして、150回目の完走は、今月、2019年12月の「NAHAマラソン」なので、6年で50回が加わったことになる。
この間、年に8回以上フルマラソンを完走したことになる。

100~150回完走のあいだには、北海道マラソン、さいたま国際マラソン各1回、大田原マラソン2回のリタイアがある。

榛名湖マラソン、いわて北上マラソン、新潟シティマラソンと3回の台風による開催中止もあった。
つまりエントリー自体は年に9回以上だったわけだ。

そんな訳で、101回から150回まで思い出に残った大会などをまた書いていくつもりだ。

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フルマラソン完走150回の道 その2

フルマラソン完走を100回した時から意識し始めたのが、全都道府県の大会を一つは走るということだった。
本来ならば、フルマラソンの大会で臨みたいところだが、そもそもフルマラソンの開催がない県もあるので、先ずは、ウルトラ、ハーフ、マラニック、トレイルなど何でもよいので、ゼッケンを付けて走れる大会なら良しとした。

それでも、走りたいフルマラソンがあれば、もちろんそれを優先する。

そして、積極的に走っていない県の大会を探し走り始めた。
101回から150回までの完走のなかで、初めて走った県と大会は次の11県になる。

101回 紀州口熊野マラソン(和歌山県)
102回 鳥取マラソン(鳥取県)
103回 徳島マラソン(徳島県)
105回 あいの土山マラソン(滋賀県)
112回 富山マラソン(富山県)
115回 さが桜マラソン(佐賀県)
119回 おかやまマラソン(岡山県)
123回 愛媛マラソン(愛媛県)
129回 金沢マラソン(石川県)
130回 仏の里くにさき・とみくじマラソン(大分県)
138回 国宝松江城マラソン(島根県)

他種目で走ったことはあるが、フルマラソンでは初めての府県は次三つになる。

109回 いわきサンシャインマラソン(福島県)
135回 京都マラソン(京都府)
142回 姫路城マラソン(兵庫県)

101回目の大会、紀州口熊野マラソンは、仕事が繁忙期ということもあり、往復を夜行バスで行ったので、とても疲れた記憶がある。
そしてゼッケンが一桁でびっくりしたことを思い出した。
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103回目の徳島マラソンは、この間のなかで、唯一サブフォーを記録した大会になった。
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走友と一緒に参加したのが、富山マラソン、さが桜マラソン、愛媛マラソン、金沢マラソン、国宝松江城マラソン、いわきサンシャインマラソンだ。
それぞれが珍道中だったりして想いで深い。

妻が同行してくれたのが、徳島マラソン、あいの土山マラソン、おかやまマラソン、仏の里くにさき・とみくじマラソン、姫路城マラソンになる。
走っている間、観光をしていることもあるが、スタートやゴールあるいはコース上で神出鬼没にとんでもないところで応援してくれたりした。

こうやって書いていると色々な大会を徐々に思い出す。
もう少し、101~105回までの大会を振り返ってみたい。
 


フルマラソン完走150回の道 その3

102回目の完走は鳥取マラソンだった。
仕事で日本全国を飛び回ったが、山陰地方だけは縁がなかったので、かなりテンションが上がっていたと思う。
大会前の数日、普段なら気にすることなくお酒を飲むのだが、この大会に限って、前夜を含め飲まなかった。
結果、タイムはどうかというと、まったくいつも通りだったので、この大会以降、あえて禁酒をするということはなくなった、ある意味、エポック的なものとなった。

大会自体は、スタートして直ぐに緩やかな登り坂なので、わたしの最も苦手とするものだった。
いきなり、はぁはぁぜぃぜぃは、かなり苦しい、砂丘を見る余裕などとてもなかった。

それでも、この大会での一番の思い出は、ラッキョウのエイドだ。
14km地点辺りに給水エイドの他にコップの中にラッキョウが入っていて、思わず二の足を踏んで、ボランティアの方とこれ何って話しをした。
それをたまたま写真に撮られ、翌日の日本海新聞の記事として掲載されたのだ。
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翌朝、ホテルのロビーで新聞を広げて、ビックリしたことを覚えている。
そして、後日、新聞社から送ってもらった写真がこれだ。
日本海新聞

コース後半からは足底筋の痛みで、沿道の応援の方に水をもらいロキソニンを飲んで走り切った大会、その時は辛かったが、鳥取砂丘や因幡の白兎など、旅ランとしてはなかなか面白かった思い出がある。
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 なかなかユニークな完走タオルでした。

 





フルマラソン完走150回の道 その4

103回目の完走はとくしまマラソンだった。
以前から記録が出やすいと言われていた大会で、それなりに気合を入れて臨んだ。
スタートは陸連ブロックがあるので、地元埼玉の川内優輝さんとは、ほんの数メートルの近さで並ぶことができた。
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吉野川沿いを走るほぼフラットなコースは、それほど応援は多くないが走り易い。
4月なので暑さも感じるが、川沿いの風を感じて、それほど苦しくなることはなかった。
スマホを持って走っていたので、何度か立ち止まって写真を撮ろうと思うことはあったが、サブフォー出来るかもしれないというラップを刻んでいたので自重した。
結果、最後はバテたが、遊ぶことなく走り切ったので、グロス3時間58分02秒でゴールできた。

公認大会なので完走証でなく記録証を貰った。
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長めの休暇を取ったので、この大会前後は、レンタカーであっちこっちに行った。
渦潮、金刀比羅宮、かずら橋などを巡った。

残雪の剣山、大会で履いたランニングシューズで登ったが、とても寒かった記憶がある。
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とくしまマラソンのゴール後、記録証発行の役員の方に、この大会も良いよと言われたのが、海部川風流(カイフガワフル)マラソンだった。

いまだ、行けてないので、ぜひ、走ってみたいと思っている。
 


 

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